「ザ・マスター」(2012年)

カルト組織にとって最もあってはならないこととは「リーダーが転向してしまう」ことに違いない。それに較べれば組織が滅ぶのも繁栄するのも商売のなりゆきにすぎない。もしカルトのリーダーが「ほかに大事なひと」を見つけてしまったら、そうなったなら、メ…

「HOUSE ハウス」(1977年)

終盤、クンフーが「あっ 唇が……大きすぎる……!」と叫ぶ。クンフーが見ているのは、巨大な唇だ。それがしゃべっている。ガリ、ファンタ、クンフーの前に屋敷の怪異がいよいよあらわになり、セットは使い潰されていく。ところで「唇が大きすぎる」というのは、…

「女囚701号 さそり」(1972年)

咲で言えば――と脳内キャスト会議を始めかけてやめた。悪魔のリドルのほうが向いてるかもな、と思う。いずれにせよ見開きカラーで敵チームが練り歩いてくる場面の二番手にいるのは片桐(ここでの横山リエはちょっとパンダに似てる、かわいい)で、彼女を狼狽…

「ウォーキング・デッド」シーズン2、1~6話(2011年)

軍人上がりの、麻薬常習者の、ほれぼれするほど自己陶酔的なメルル・ディクソンも、ひとつ正しいことを言った。崖をよじのぼってはすべり落ちる弟・ダリルの、朦朧とした意識の前に、行方不明の彼は幻想としてあらわれる。あざわらいながら、弟を罵倒する。…

「ウォーキング・デッド」シーズン1、1~6話(2010年)

ステレオタイプな黒人蔑視、アジア人軽視、女性憎悪、無邪気な役割分担、etcにあらかじめ反省的な構えを鑑賞者に見せておきたいシナリオがある(批判とも言えない、ほんのささやかな味つけ程度でしかないにしても、たとえ:たかが:その程度でも)。しかしそ…

「リミット」(2010年)、「キャビン」(2012年)

思うに、「リミット」は館ものの機微を受け継いでいるだろう。映画が始まる。主人公は暗闇で目覚める。どうやら自分は、狭い室内に閉じ込められている。なぜか手元に残されていたライターや携帯電話のライトを頼りに周囲を照らしていくうちに状況が見えてく…

「ミーン・ストリート」「グッドフェローズ」「ドアをノックするのは誰?」(マーティン・スコセッシ)

「ミーン・ストリート」の言語観に敬意を表して、私も自分の口と手を汚して言うならば、ここでのロバート・デ・ニーロは嫌になるほどイギリス顔だ(お望みなら、「英国」顔とでも)。イギリス顔とはイギリス人の顔のことではない。90年代UKロックバンドの有…

「ブギーナイツ」

この映画のシーンでひとをぎょっとさせるのは、拳銃のピタゴラスイッチでまとめて死ぬところでも、コカイン上の母娘契約でもないだろう。「シスター・クリスチャン」を無視した子供の爆竹に、いちいちスーパーヴィーンするまで馴致化した役者のからだなんか…

聞きたい声だけが

孫引きになるけれど、ミシェル・シオンは「映画では登場人物が遠くにいるのに声はすぐ近くに聞こえることがよくある」というケースを引きながら映画論をかいていたようだ。たしかによくあると思う……ぱっと今、思い出せないんですけどね、というやつだ。代わ…

「ひなこのーと」1~2話

夏川くいなにひな子が「きれいなひと」みたいなことを言ってくれて救われました。髪の跳ねぶり、にゃーんなくち、物理的に本を食べる、といったマスコット指向の造型を十分与えられてあるかとみえるくいなだけに、そう言いとめてくれるひとがいて、心強かっ…

「チャーリング・クロス街84番地」

これがある種の「孤児院もの」に映ってしまう理由を、贈り物の質とその差に求めるべきではおそらくないのだろう。たしかにイングランドの乏しい食料配給制のもとで暮らしているフランクたちへ届けられるのはハムや野菜や果物の缶詰といった食料品であり、そ…

「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」1~13話

自動手記人形、という字づらから誘いだされるものは当然ある。それだけ強い字づらだからだ。その手の「知識」はあらかじめ作品の外に置いてきた、とは言えない。干渉されるのはしかたない。それにしても、抑圧という嫌われ者を自分のある部分へと積極的に与…

帰宅して毎日二本づつ映画を観てる。映画を観るのがただたのしいと思う。映画コンプレックスの私が……。こういう日が訪れるとは思わなかった。これは、予想できなかった……。 シャマランは「サイン」「シックス・センス」「アンブレイカブル」「レディ・イン・…

「ガラスの花と壊す世界」

予定を立てるたのしみなんておぼえちゃったら、もうなんでもできそうです。ばらばらなのは眼の前の明るい家屋のほうで。映画が始まったころには互いにさかさま(それが絵的に誘惑ではあった)だったデュアルが、ドロシーに髪をいじらせるのをゆるすとカメラ…

「ヴィジット」(M・ナイト・シャマラン)を観た。シャマランというひとの映画は一通り観てみたく思った。 女の子と男の子が外でごっこ遊びみたいなことをしていた。宇宙人によってこのへんは汚染されてますとか悪い電波~~~とかポンポン胡乱なことを女の…

「灰羽連盟」6話~13話まで

クウみたいなひとが先輩でよかった、とかラッカが言う。はにかむというでもなく、クウのなかにその言葉が染み込んでいく(見える)。あるいはどこかの部屋のなかで。ふたりでなにか談笑し、くすっと笑い合うと、誰に隠れている訳でないのにほかの灰羽たちに…

「灰羽連盟」5話まで

「私は自分に誓った沈黙の約束をいま果たす」、とルゴーネス短編集の序文にボルヘスが置いた言葉を引用してしまうほどだ。その程度には力んで私も観てしまうものでもあり、その程度には先延ばしし、手をつけてこなかった灰羽連盟。 思うに「羽」と言われるか…

昼の月がだいすきだ。いつからだったか、とにかく……昔から。ただ、テレビも、友人も、家族も、それについてくちをつぐんでいたし、私もなんとなくためらわれてずっと訊けないでいた。夜見えるのだけでなく、昼の空に骨みたいに透けてるあれ「も」月なんでし…

「宇宙よりも遠い場所」4話まで。どこから語ってみたいだろうか。高橋めぐみというひとがそもそもこのアニメに籍を置いていてくれたところからだろうか。白石結月のドアがノックされる、夢よりも「嘘みたいな」音のまわりに非常招集された出来事群からか。キ…

コンタクトを外すと、コンタクトがあらわれる

マンガのなかでキャラクターはなにを見ているのだろうか。そんな問いをマンガ研究のなかから見つけたりする。逆に言うと、キャラクターには「見えていないもの」として扱われるものがあるのだという。 たとえば、フキダシやコマを縁取る枠線、多くの漫符や象…

両手いっぱいに、と修飾できることの幸せさでした。 アニメ「ゆるキャン△」第3話(「ふじさんとまったりお鍋キャンプ」)まで。3話ってまあ、いろいろときめく思い出ありますアニメでは。それは措いて。 各務原なでしこさんが籠を抱えてる絵ですね。鍋やるべ…

影響関係を実体的に取り出す必要はないという立場はありえる。ありえるというより、ほとんどの人間はそんな風だろう。誰それのなになにからはしかじかからの影響を感じるとか、自分は誰それからの影響を受けてきたと思うとか。そういったものは機能主義的に…

どっとライブでデビューした子たちの初配信を見ていた。「ほら! 私、かわいいでしょ!」と言っただけで「イキりかな?」と言われてしまう時世ではある。時世て。いやまあ。撤廃されつつある「ドヤる」から、その意味論的空所補充のように現れた「イキる」に…

反復可能な芸術作品の存在論とまばらなメレオロジー唯名論(西條玲奈、2014年)https://ci.nii.ac.jp/naid/500000925017/ ある芸術作品は、歴史を通じて、音楽であれば演奏されたり、演劇であれば上演されたりする。ときに演奏者や役者、舞台をかえ、脚本を…

美少女を発見する美少女が私はすきだ。四月でも九月でも。美少女に出会う美少女、美少女を見い出す美少女がいると思う。艦これで、私は天津風にそれを見ていた(pixivに載せてあるSSではそのあたりの機微を伝えることはたぶんできなかった)。 「ぽんぽこ24…

題、挿話をひとつづつ思い出しました。だからここに置いていいね? 「私なんか忘れますよ」。これは題。甘い恨みは「私(のこと)なんか」と補う。「彼は、私が彼のことを忘れてしまったと思っている。だが……」。これは挿話。「彼のこと(など)」と補う。あ…

「この街にも今日一日、通行人の誰からも眺められなかった場所がある」ことを私はよく思う。自分の部屋の窓の外を気にしながら。一日の終わりにでさえなく。眺められなかった、という過去形を使うのに躊躇はなく。朝から起きて隣のマンションの庭を箒で掃い…

「語り」がある。それはいい。しかしそこから「語りがあるならその語り手もいる筈だ」という信念がついてくる。言い換えれば「語り」は必ず「誰かの語り」として受け取られるのだとも言われる。ひとにはそもそもなにかを「語り」として受け取ってしまうとき…

マンガのなかの手紙、マンガのコマのなかで読者にも読まれる手紙、というのはひとつの決定的な主題選択のような気がする。三浦知志が「『中間領域』としての手紙」という論文でかいてくれているのは、まさにマンガに登場する手紙という物質についてだった。 …

ここ数年つきあっている症状であるけれど、首を動かすのが困難になる時期があり、ベッドから容易に起き上がれない。四肢は自由でありつつ、その自由さが起床に対してなにも寄与しない、ということは清々しいだろうか。そうかも知れない。頭が持ち上げられず…