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さいきん描いてた絵

気散じ

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 一年前との違いは色が使えるようになった!!!! くらいしか進展がなくて恥ずかしい とか殊勝な恥じらいもべつにないですが(思ってる思ってる)、まあ涙。

 なんですかね。痴れ顔(貧血エレベーター)ぶんがたりないですかね。


――


 同一日付のエントリ内で区切りを設けるとき、私、どうしてたんだっけ。☆☆☆で区切っていたこともあった(これは長く続いた)。いま倍角ダッシュを使ってみて、懐かしさがあったので、これも忘れてるだけでずいぶん使ってきたのだと思う。そんなところから、またやっていくのかという。荒北くんの怒鳴り声が聞こえてきそうだけれど(ハァ!?)、こんなところからまた、やりたいのさ。

 午睡よりさめし王女は階下りて蟻の合唱をききにゆくらし
 いづこにか木の芽匂へる廃墟には犬あつまりて墓掘りてをり
 亡びたる家の系譜もそらんじて家鴨か馬に変身をせむ
 夜の空に電波を送り肋骨を風吹きぬける密偵なりき
 気味悪き密室よりやつとよろめきて出できし街に雲雀はあがる
 密葬を終りしゆふべビニールの雨外套に楽の音は湧く  ※楽(がく)
 山裾に金属音はひびきつついそいそと夜の化粧をいそぐ
 この島の北のはづれに墓標立つ密漁者らはまたかへりこず
 宝石にうづめし胴は細りつつ五月の菓子を舐める舌見ゆ
 軍隊も外人記者も故郷にはひとりもゐねばゆつくりとゆく
 喰物を奪ひ合ひするならはしはむかしよりこの家に伝はりしもの
     *
 晩年のよろこびひとつ眠られぬ夜の枕べにオルゴール置く
 (大野誠夫「オルゴール」p.300-301(『行春館雑唄』)、『現代短歌全集 第十二巻』、筑摩書房、1980年)

 ほかの歌がどうとかではなく、その連作に来たとたん、ズズズと泥のついた氷山の肩が浮かび上がってくるような感触への無視しがたさは、たしかに、「オルゴールの一連」という単位でおぼえていたい、この、だと。初読時に振った【ずきんときたマーク】(よかったさがしでもあるまいに……?)は、「午睡より」「亡びたる」「夜の空に」「気味悪き」「密葬を」「山裾に」「喰物を」に赤で書きこまれている。読み返せば「宝石に」「軍隊も」の歌にもついていてよい筈だけど、たぶん、ある種のずきんときた歌が続くといちいちなにか印をつけるのもきつい、きりがない、という秀歌地獄(……)的な思いで、半端なマークづけになったのかもと思う。松平修文の大野誠夫紹介では「いづこにか」が引かれている。
 同歌集内のたとえば、それだってひとつではない歌の炎、「天鵞絨の紅衣をまとひ一樹立つ幻は消ゆ汽車にめざめて」「画面には花の車と自動車が突きあたり驟雨に濡れつつぞゐる」に対して、明らかに探偵小説のフィギュールの強調があるから(つまり趣味性で反応してるだけなのか私は?)、……というのだけではなく、「奪ひ合ひするならはし」「家の系譜もそらんじて」の、内容の悪行さにシニフィアンの優雅な韻律が重なる『魚歌』的な挑発に駆り立てられてもいるって? ある土地を舞台にした連作という表現がありうるように、舞台になっているのはある感情(暴露の、犯罪の、等々)であることも、とかいう物言いを適用したいのか、できるのか、判らない。それに一貫性ということなら、あるものが並べられればどうせひとはなにかしら「関連」を勝手に見出す……にしろ、であるにせよ、その意味、関連に対する態度はやはりその都度、それぞれの者の期待する価値を忍ばせながら語られうるし、語られてきたのだろうから。
 アステリスク。オルゴール。それにしても、もう一度巻け、ということらしい。ゆつくりとゆく。そういう回転数もあった。

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