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■の場所では

 「使える文体はなんでも使ってやれ」という下卑たモダニズムの時代(エ?何だつて、もう一度いつてごらん。)が私にもあって、立ち上げては潰すネットの日記、そのいつだったかの数年とちょうど重なり合う。そして、どうとでもなれという思いで書いている中でさえ、やはり、ある書き方、ゆずれない書き方、その質への吟味といったものはどうしても生じてくる。なにもそのことをたしかめるためにやっていた訳ではないけれど。
 と、こう書いてみて、このあたりでちょっと気のきいたオチでも広げてみせるだろう2000年代前半ごろの日記サイトの強迫神経症的な「つかみ」への欲望を不思議にも苛立ちなしに思い出しつつ、とはいえ断章形式に向かうのもあまり冴えないような気がして(『傷と出来事』、星々との絆に向かう準備もまだとれていない)、つまりまたいつもの書き方を忘れた、だ。日記を中断するたびに言ってるけど。この、書き方を忘れた、と言うのすらなにか、パフォーマンスじみて聞こえるのもつらいところだけれど。ぴゃー とか叫んでみる。


 私がいわゆる昔の日記サイトについて書くとき思い出話をしているのではまったくなくて、それは反対に今も続行している生について、生を続行するように書いているのだと思う。書いていたいものだと思う。「『われわれを忘れよ』と言う者が少なすぎるのではないか」(安川奈緒)。担いきれない履歴の重みを「忘れるな、背負え」と迫る欲望に引き合わせられるほど、かえってそこからほんとうに自分が担いなおしたい者へ寄るための歩数が、そのカウントの重みこそがはかられることになる。どうだろうか。
 たとえば「しゅうかいどう」(http://www.geocities.jp/syukd/)を私は初めに見つめだしたお絵かき日記のサイトとして記憶している。メテオさん★の絵がたくさん輝いている置き場として、記憶している。キーワード検索でたどれば胡乱な項目(「セカイ系とは」)への補助説明にもこのサイト名は挙げられている。私はそういう記憶はできないと思った。私はしゅうかいどうをべつのことで記憶する(……)。これはまたべつの話として、「ネット短歌」も「ゼロ年代」も私は使わないしこれからもそれらの用語の情動に興奮をあずけていくような身体は無視していくだろうと思った。なにより用語の韻律が私につらいくらいみじめだからだ(これは韻律の問題だろ? 意味と韻律の対比どころか……むしろ「意味合い」によって巻き込まれた身体のある政治的体勢をここで韻律と勝手に呼ぶ、その韻律がすでに汚いという話だ)。どうあれ、すでに歴史的に叙述されマークされた用語なのだから少なくとも議論の範囲においては好き嫌いで用語を差別するのは誠実な態度ではない、というような非難を予想しつつ、またある面では同意しつつ、そのような用語を生かしておこうという態度には決定的に信頼を寄せることはできないと感じている。「(異論もあるだろうが)……便宜的に使用する」とか「○○はこう名付けている」とか、結局そうして紹介者の位置まで自分を退くことで用語を延命させたり広めたりするのに手を貸してんじゃん、という書き手ばかりではない筈なのだけれど。もちろん自分にもはねかえってくる、いつもだ。否定したもの、居直ったみじめさにやりきれない思いで手を払ったものたちが復讐の温度を持ち始める、そんなことだ(よくあつすることはそれをせいさんすることとおなじです とじゅでぃすが書いてたな?)。今それについては口を閉じる。


 お絵かきサイトのしかたでこういうものがあって、まだ廃れていないのかどうか……。■■■■■■■■ この■に一個づつリンクが貼ってある。というやつ。これまでに描いた絵がそこから表示される。題名をつけるほどでもない落書きとか。いや、題名もつけられてて色も塗られているんだけれどそういうのをわざわざ文章で説明することもない、という描き手のニュアンスが伝えられるような。上手く言えないけれど、ああいうしかたが自分にはお絵かきサイトの、特に見た目における着火感をもたらしてくれたようだ。そうして自分も十年遅れでお絵かきを始めている。ああ、そういう清算のしかたはもうやめたのだった。十年だって?

2年くらい前だったかな。「あなたの絵は全然描けてるうちに入らない。あなたは自分の絵がどうとか語ってるけど、みてて本当に恥ずかしい。身の程を知るべき」というような匿名のメッセージを貰ったことがあって、そんときはえらい落ち込んだ。いまでも思い出すとうわあああってなる。落ち込む。


そもそも私はデッサンなにそれ喰えんの状態だし、練習とかしてないし、上手くなろうとしたことなんかないし、プロ目指したことすらないし、変な絵だし、趣味の延長線上っていうか完全に趣味で気楽に描いてるのになんでそこまで言われないけんの……とも思った。自分が下手なことくらい知ってるけど、でも元々自分ひとりが楽しむために描いてて、しかも好きっていってくれるひとがいて、それはほんとに小躍りするくらい嬉しいし、舞い上がって喜んじゃってる私は心の底から楽しい。いーもんね別に好きだって言ってくれるひといるし楽しいし、だまればーかばーかくたばれくそが! と、やっといま思える。
(「吠えてるんじゃなくて ないてるんだ」2010年5月12日)

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