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右と左しかわからない所へ/やってきただけ

気散じ

俺の心臓チケはこうだ、君への心臓チケはこうだ
http://d.hatena.ne.jp/kenkou/20111201/1322711317


 geocitiesだかtripodだったか、レンタルサーバーを借りて日記をおっかな書き出してみる。しばらくすると夕方、丘の上の大学の駐輪場から帰るために自転車のサドルの汚れを手で払ったりしながら、コインランドリーで惣菜パンをもぐもぐしながら、今日の分の日記というのを考えている。考えていたことに気づく。一日に一度だけ引けるおみくじのようなものだ。どうしても、というときは一日に何度か更新していたようだけど(内容は大したことではなかった)。~~~~~
 こんな前日譚なんてぽいぽいぽーいっぽい? いや、つまり(……)日記というのは、ネット日記というのは私にいつも、「なにかについての日記」というありかたによって更新意欲を維持させてきたのだと思う。フッサールではないけどさ。この「なにか」という項に「日記」自体を代入することは、物語についての物語同様、無限に退屈な浪費を許しかねないところがあってそれはいつも警戒する必要がある、判っている、知ってる、にしても、それさえも、というかだからこそというか、自分がその書く手をもって隣り合わせている「方法」に対して思いあふれたときに、そのことをけして不埒でないしかたで書きついでいける書き手もたしかにいて、そんな少なくないひとたちが日記についての日記をあれほど書いてきたいわれもある。


 晴れた日などは見たことも聞いたこともないひとのお墓参りにお菓子を背負って行きたくなる、というのは自分の趣味や性欲に、つまりみだらさに属するものだろうか、と少し考えて、「わたしたちは/右も左もわからない所から/右と左しかわからない所へ/やってきただけ」(盛田志保子「かなしいおばけ」)。キーボードの上の手作業を誰かの何万人が地図論の何万枚にしていることを疑わないにせよ、眠気によって、同意によって、ブラウザの前で右と左の情勢論をつねに生み出し続ける分割線、縦にふられる首という滝壺からの水を浴びるおそれを感じながら、もう少し先で書けるだろうか。

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