初七日は下へ

 いつごろかもう忘れた。現代短歌大系かなにかで寺山修司の歌を読んでいたころ、次のような歌に当惑した。

「紋付の紋が背中を翔ちあがり蝶となりゆく姉の初七日」  ※翔(た)のルビ
寺山修司「家畜たち」(『田園に死す』)、『寺山修司全歌集』、講談社、2011年、p.59)

 この鉤括弧はなんだろうと思ったのだった。誤植の可能性を思ったり(まさか)、なんらかの「背景」があってそれを是非調査しなければ読めないようなものではないか、とか。誤植でもなんでもなく、それはただそのまま読めばいいと受け入れるには、散文における鉤括弧のこそあど言葉性に馴らされていた身にはむつかしかったようだ。「初七日」の読み方が判らず、結句でしどろもどろになる思いをよそに眼に映る鉤括弧の、互いに外れかけているからバランスが取れてもいるような額縁がいつもしずかだった。類似の約物が用いられている歌を同じ歌人から見つけるなら、「『囚われしぼくの雲雀よかつて街に空ありし日の羽音きかせよ』」*1、「『雲の幅に暮れ行く土地よ誰のためわれに不毛の詩は生るるや』」*2がある。
 寺山修司の歌について、まして韻律・心の肺活量とがほかにないしかたで問われる短歌を読むに際してこんな風に登場する鉤括弧に当惑してしまうことには、たしかに笑われてしまう素朴さがあるのかも知れない。それは重要なところじゃない、読むべきはべつのところにあるでしょう、とかなんとか。寺山修司の歌のために書かれた評論やエッセイをいくつか読んでも誰もそんなところを取り上げたりはしなかった(これは私の読む量の問題かと思う)。鉤括弧がもともとついているものを、さらに鉤括弧で引こうとすると二重化してかたちが変わる(「『「『「」』」』」のように。空気で膨らんだのだろうか)、そんな約物表記の慣習をなにか発見のように感じたときもそれは寺山修司の歌の固有の問題じゃないのだから、というたしかに説得的な声に恥じてすぐにしぼんだだろう。実際、それは私自身の「趣味」に応じて見つけ出された発見だった(ほんとうだろうか)。
 いま鉤括弧のある歌を読み直してみて、サイレント映画の字幕、黒地をバックに白で差しこまれる語りの姿をまっさきに連想したとして、今度は鼻白ませてしまうだろうか。引用、強調、会話文と地の文の分割、投射、異化、その他もろもろの鉤括弧の広い意味論的/形式的な機能を一挙に思い起こさずとも、たとえばこれらの歌は仮に鉤括弧なしでもそれ自身で自足できるように思えたのだった。言い換えれば、鉤括弧は自足している歌にあとから差し込まれたもののように聞こえた(この記号の差し込みを歌本体に対しては時系列的に「あとから」であるように思うことがすでに転倒的なのかも知れない)。そうしてみた上で字幕的な感触をおぼえたという、鉤括弧を使うことをよしとした存在の手つきを感じたのだと(……)。
 とはいえ、この言いがたい不思議な感触を、たとえば作者の活動経歴から推してはかれるような演劇や映画の形式へは短絡させないようにして、あくまで短歌の中で、短歌をめぐる声の問題として保ってみることはできるだろうか。


***

藤井 (……)近代詩ではカギ括弧をたくさん使った作品がけっこうあるのね。上田敏とか蒲原有明とか、そういった象徴詩派のひとたちは括弧によって言葉をずらした。翻訳語を従来の日本語と違う意味で使うのには括弧を使ったりするしかなくて、そうやって象徴詩へと持っていったんです。(……)丸括弧はいいんですよ。問題はカギ括弧のほうです。
岡井隆藤井貞和・小笠原鳥類「百年後の現代詩のために」、『現代詩手帖』12月号、思潮社、2010年、p.21)

 たしかに土井晩翠薄田泣菫の詩にも、そんな風な手つきをいくつも見つけることができる。鉤括弧、二重鉤括弧は主に熟語レベル、単語レベルであてられている(「悟り」「自然」「『休息(やすらひ)』」「『沈黙(しじま)』」といったように)。一方で短歌、とりわけ戦後短歌を思い起こしてみるとき(ここで戦前の短歌を確認するべきなのだけどそのための用意も蓄積も私にまだない)、鉤括弧や山括弧が同じく単語や短い句にあてられながら、まったくべつの倫理的水準が働いている手をみとめる。

濠ぞひに堰かれつつ進む旗見ればわれら〈解放広場〉を持たず
(三國玲子「ほろびてはならぬ」(『花前線』)、『三國玲子全歌集』、短歌新聞社、2005年、p.92)

それぞれに言葉かよえば何故たれも「平和と友情」のちかい明るく
(近藤芳美「バイカル湖まで」(『異邦者』)、『近藤芳美集 第二巻』、岩波書店、2000年、p.118)

ただわれに会うのみに遠く来て泊る朋くれば〈指令〉を負いてゆく君
(清原日出夫「流氷群」(『流氷の季』)、『現代歌人文庫 清原日出夫集』、国文社、1980年、p.23)

 鉤括弧と山括弧については肌身にしみる大きな感触の違いがあり、それを見逃す訳にはいかないにせよ、ここでは措く。として、たとえばこんな風な技術たちが伝えようとするものは括弧で囲まれた言葉の意味を近代詩のように異化するのではなく、まったく反対に言葉の意味をどこまでも固持しようということなのだろう。歌の形式によって言葉はみなアクセントを変え、メロディを変え、歌の外で普段そうしているのとはまるでべつの心の肺活量を余儀なくさせられるとして、つまり短歌によってあられもなく変貌させられる筈の言葉を、それでもまだ変えずに持ち込みたいと無理をする形相の汗や息吹ではないかと思う。単にここでは括弧が硬くプラカード的だというのではなくて、括弧のうちにそれぞれ見られるスローガンや地名を歌の外で浴びてきた者の動揺や息遣いごと歌に収録しようという手つき、それを含めて固持を願っているような形相の無理ではないかと思う。「〈解放広場〉」とはほかのどこでもない「あの解放広場」であり(タハリール広場のことだろうか)、「平和と友情」とはほかのものではない「この平和と友情」であり、「〈指令〉」とはほかのどれでもない「その指令」というように。固有性とこそあど言葉性に手を結ばせる括弧の無理は息苦しい、だけれどもたしかにこんな風な形相でなにごとかを伝えようと急いた足取りを忘れようとも思わない。声への苦闘。


 初めに引いた寺山修司の歌に戻ってみる。短歌が丸ごと鉤括弧で包まれてあることがやはり、不思議だ。感触として不思議だ。サイレント映画の字幕のようだと私は書いたけれど、ほかのひとはまた違うように読むだろうと思う。連作の中にべつの作品の「題」がたまたま短歌の形式で差し込まれているようだとか(これは逆にも言える、つまり連作の中の一首が鉤括弧をつけられて「題化」させられたのだと)。鉤括弧の中にあるそれ自体一首を作者がだれかの日記とか遺書とかから引用してきた(ということにするとして)、その手つきそのものを立っているような歌だとか。
 いずれそこでは「紋付の紋」というあからさまな記号が飛び立つのは、鉤括弧という記号の羽織のうちでのことだった。死者、たとえば声がもう出せないとされるひとは日数の尾を曳いた行事となって結句からそれを支えている。

*1:寺山修司「十五才」(『初期歌篇』)、『寺山修司全歌集』、講談社、2011年、p.130

*2:寺山修司「熱い茎」(『空には本』)、前掲書、p.170

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