「氷たくさんつくれてうれし」

 桜入りのアイスって売ってる?


 はい。


 あれこれ外を歩き回ったあと、訴えを部屋で開いた。

 九歳か一〇歳そこらで野良仕事をする子どもはつらい思いをするだろう。それでも、仕事がおとなの専売特許のすばらしい遊びに思えた瞬間が、ほぼ例外なくあったはずなのだ。
 (シモーヌ・ヴェイユ『根をもつこと』上巻、冨原眞弓訳、岩波書店、2010年、p.89)

 私は吐き気がすると言えるかも知れないし、ひとが言うように「誰もがお前みたいに生きられると思うなよ」という怒りを思い出していいかも知れない。一方、この文が『工場日記』の著者によって書かれた文脈なり歴史を見落とすことはフェアじゃないとも思うし、この一節の前にあるように日本で言えば小学校を出たくらいの子供が事実として工場労働に就いており、その際に最初に受ける子供の精神への致命傷が回避されないかぎり生はないという念でこれは書かれている(当時のフランスでの児童労働の最低年齢なり基準と実態なりがどんなものだったのかは知らないし、仮に法に則していたとしてその法自体の不当を問う部分はないのかとか気にかかると言えばぜんぶ気にかかるけど)、というのも……違うね、そういう話でもない。私がとにかく仕事アレルギーすぎてこの言葉を書きつけるだけでも鳥肌がすごい、というのも措いて。
 仕事がおとなの専売特許のすばらしい遊びに思えた瞬間、という箇所の、箇所の、なんというか。この箇所でずっと立ち止まっている。この文ではなく、この箇所の前で、言いたいことがいろいろあるまま止まっている。仕事と遊びを結びつける、この言い方自体はひどいくらい凡庸だというのはその通りであるにせよ(ほんとうだろうか)。

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