年に一、二回都心へ出かける。私にとって大事なひとたちとおはなしをしに。そんなふうに心から思えるひとが私にできたという事態の前でおろおろしてしまう。私はおしゃべりが嫌いだと思い込んでいたけれどどうやらそうでもなくて、すきなひとたちとのおしゃべりはすきなのかも知れない、ということさえ長く、この年齢になるまで知らなかったくらいで。逃げ出したいほどうれしい気持ちのまま、こんなにやさしさ厚いひとたちの前にいていい筈がないと正直に言えば思いながら、そしてまた「人間は嫌いだ。全員殺したい。だがお前は嫌いではない」という例の懐かしい怪物の真剣な笑顔にそっとあずけるには、大仰でしょうね、ともいう気持ちのまま(お前にとっての一大事ほどみなに退屈なものはない? 判った、判った、「救われた者の声は鬱陶しい」さん)。
 速記者の精神をもちつつおしゃべりできるひともいて私には無理だ。なぜ別れたあとすぐメモしておかなかったのだろう、今のたくさんのおしゃべりを、といつも思いつつ。「タイガーの歌、結構すきでね……」。私のきっとこれからもただひとりの短歌の友人は大塚寅彦をそう呼んでみせてくれた。昔。葛原妙子は畏友が妙(タエ)ちゃん!と嬉しそうに呼んでいて、私はそれ以上眼をつむれそうな呼びかけを見つけられないでいる、と思う。