もう一度言ってくれないか、「短歌ってどう作るんですか」と。ほんとうにもう一度言ってくれないか? いや? そんなものはない。短歌の作り方を指導し、指導されて歌を作れるようになる可能性などあらかじめ廃絶させたところで自分は歌をやっている。要約すると「来るな」という一言につきつめられる自負、そして「短歌入門」の類への嫌悪がある一方で、短歌形式に焦がれて、ただ最初の二三歩について誰かからの直接の助けを聞きたい……、そんな、かつては自分もまたそうであったところの歳若いひとへのもどかしい気持ちとを同時に背負いながら、近藤芳美は「短歌の作り方について」*1という小さな文をかいている。少なくとも昭和22年5月のこの文章上における近藤芳美は、修辞を若い子に手取り足取り教え込むエロジジイ(中尾太一)よりはまともな神経をしていた……と私は思う。
 歌を他人に手ほどきするなんて鳥肌が立つ(!)にせよ、最初のとっかかりでも知りたいという切な思いを無視してかまわないとも言い切れそうにない。拒絶と憂慮とをどちらも抱え込んでかかれたこの文が結局、「生活を歌え」という、誰にでもいつでもどこにでも通用しそして、通用するだけどこまでも空虚でもあるモットーを、また「素材」や「抒情」や「誠実」といった「キーワード」を引っ張り出してこようと、自分が嫌悪することをやはりこうしてかいてしまったことで新しい……だけれども無意味だとは誰にも言えない筈の……傷を近藤芳美自身につくった筈だった。
 短歌、俳句にとっての「入門」と「作り方」の境界はほかのジャンルに比べてかぎりなく薄く、それもただ薄いのでなくある有無を言わせない強い意味で薄いように思う。こうしたかきかたで同意を求めようとする私は端的にさもしいと自分で思う。それに、薄さそれ自体が非難されるべきではないにせよ、さらに言えば薄さは強みでさえあることに同意しつつ、短歌や俳句をカテゴリー:「おけいこごと」へとおさめる屈辱質な視線*2のほとんどはやはりその薄さから養分をえているのかも判らない。そしてそれは、近藤芳美の嫌悪の源でもあったと思える。とはいえここで「作り方などない」とか「入門と作り方はべつのことだ」と拒絶した先には、きっともうひとつの、いやまたべつの、罠が待ってもいるだろう。
 こうしたことに関連して最近思い出した文章がある。詩誌『kader0d』vol.6で以前、竹本寛秋が「『詩の作り方を教へることは出来ません』 : 大正期『詩の作り方』が生成する『詩』概念についての一考察」という論考を載せていた。これは現在、北海道大学学術成果コレクションのページからネット上でも読むことができる*3ようになってある。詩の話だこれは。もちろん。そして大正期の詩人たちの、詩の作り方についてのさまざまな、だけれども肩を組んだように一様な言説、「詩は誰にでも書けるものと位置づけつつ、特別な人にしか書けないものとして、『わかる人にはわかり、わからない人にはわからない』領域へと囲い込」んでいった状況に関しては、これとよく似たことがしかし、詩のほかのジャンルでもお馴染みのものであることを誰もが知っている筈だ。

*1:近藤芳美『新しき短歌の規定』所収、講談社学術文庫講談社、1993年

*2:「ただ『いいご趣味ね』と言われる短歌に、私はも少し真面目になろうと思ったのです」(黒田淑子「あとがき」p.97、『丘の外燈』、第1歌集文庫、現代短歌社、2013年)

*3:https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/handle/2115/47864