森岡貞香『百乳文』10首選

この海星の場合 港湾に突き出たる concrete のうへにて死せり  ※海星(ひとで)


われが淵といふ名をもちひむかとおもふ 横切るはひとつ幻影


雑木林の空を飛びながらの産卵はすずめ蛾の種に運命ありき


おびくものとしもおもはねど龍の髭のかかふる青き玉に目を遣る


見も知らぬ子供の凝視 射込まれしうれしさといへどしどろもどろの


年齢の無きもののごと朝影にうねりけばたちてをりたり宜しも


いまわれは人おもひきややいばなす芒のひかりと似つかはしくも


あまのはらのかげ深まりて料理菊の畑の菊のたふれてゐたり


彼はたれかカナカナといふそのこゑを亡き数のなかに入れてかぞへよ


地表なる落葉に坐ると同じやうにへやに居るなりほろぶとは何
(森岡貞香『百乳文』、『定本 森岡貞香歌集』所収、砂子屋書房、2000年。なお原文は旧字体表記のところを新字体に一部あらためて引用)


 森岡貞香をしばらく通読してきてとりあえず定本では最後の作品から、つかまれた、あるいはつかみそこなった……できるだけ直接性を帯びたと思われたものを集めてきたけれど、ここに引けなかった歌をまさに引けなかったことが第一等の「やりなおせ」……で、歌がこれほどワープしていいのだろうか……?という、このひとはこんなにまでやったのだ、という(花山多佳子の意見をこの点で重く聴く)……そういう箇所は上の選からなんて、なんてとは言いすぎかどうか……まったく感じられないのではないだろうか。どうしてそこからそこへ行ける……という高瀬一誌さえ、森岡貞香の韻律のあとではえらく素直な表現に見えてね。grace under pressure(!)。
 踏みとどまる。忘れる。つながりえないところを、できること。気を取られていては進めない道の先でさらに、できること。逆に気が遠くなるまでかかりきりでいられること。フロアでの「成功」を気にせずにすむこと。
 「雑木林の空を飛びながらの産卵は」を「産卵よ(……そして一字あけ)」にさせたがるちからがいただろう。切らせようとする………そして………切らない。産卵は、とかいてしまう。それは構文の指輪……。続いていける訳だ。約束で。指輪はべつの文の指にはまってあることにいつか気づく。約束も、指輪も、嘘ではなかった。ただかけちがえてあって、それができてしまうこと。指輪は関節に似てる指輪………でなければ関節に近いところに関節。日本語の路線を日本語で変えた者がいる……ここ。その履行が、ひそかに、であるように聞こえさせるほど十字路を轟音で見つめるここに引けなかった歌とそれ以外の。