時間の知り合い

 vtuberの危うさを挙げていけばきりがないのには違いない。囲んで棒で叩かれるには事欠かないステレオタイプの宝庫であることもまた、いなめない。キャラ被りへの忌避、コラボという呪縛、ホモフォビア、登録者数や動画再生数といった数字への過敏反応、線引きの軽率さ。明るい同調圧力は、エイプリルフールなどの記念日が来るたび「自分も特別な配信をしなければ」と思わせてもしまうかも知れない。吟味された跡も感じさせないまま使いまわされる「クソゲー」という用語への態度ひとつとっても、私自身けして同意できないままだろう(笑いながらやはり、流したくもない血を流すだろう)。
 こうした脆弱さを確認して、では、私も棒で叩くひとりに正しく加わるべきだろうか。生まれたときから賢者だったような顔をして襟をただしてみせるべきだろうか。そうして、からだも、まわりも、その不透明度の目盛りを徐々に0%にまで落としていくべきだろうか。「このつぎにあったら/誰も/誰からも見えない」(広瀬大志*1ように。


 数秒で終わる一発ネタから7時間超も録画された難関ゲームへのトライまで、vtuberたちが披露してきた再生時間の幅をかえりみるとき、「ひとをつきあわせる権利」という言葉がしばしば浮かぶ。他人の時間をそもそも自分の動画につきあわせる……権利。いや、こうした危惧はかえって素朴なモラルにからめとられた擬似問題なのかも知れない。気にせずすきなように配信すればよい(内罰性と自暴自棄の迷路に閉じ込められるよりは)、という声もたしかに聞こえてくる。私も同意したくもある。一方で、vtuberすべての配信を追うことは誰にも不可能となりつつある。そのため複数の動画を別ウィンドウで開いて同時に見続けるという過酷なたのしみのスタイルも、「二窓」「三窓」といったジャーゴンによって呼ばれるように広まりつつある。アーカイブに残されない生放送はどんどん増加する。そうした状況を指して飽和や乱造を言いつのることもまた、たやすいことだ。
 こうしたなか、10年前に狐火がYouTube上へ投稿したひとつの訴えを思い起こしておける。そこではなによりも、動画を配信するための、いや配信そのものの居場所(それはサーバー上での再生領域でもあり、リスナーの耳と胸への記憶領域でもある)が丸ごとに懇願されていた筈だった。

youtu.be

 するとこう言うべきだろうか。5分間だけ「ひとをつきあわせる権利」を懇願し、懇願そのものをまさに歌詞に一回的に伝える狐火の生の誠実と比して、だからvtuberの配信は饒舌すぎ、内省を忘れすぎ、時勢を借りて時間を費消しすぎている、と。しかしそう非難した瞬間、もはや聞き取れなくなる言葉の生についてこそ、私は以前貧しい文法に依りながらかいてみたかったのだと思う*2
 雪山から立ち上がる水蒸気の見えづらさのように、ある長い時間をともにつきあってみなければ明らかにならない語りが、顔がある。それは考察勢がパラテクストを読み込みながら鳩羽つぐ*3の姿から掘り起こしてみせるものでありうる。それはvtuberという造型を通してのみ可能となった最良の4人パーティー*4の談話の質でありうる(心配になるほど咳き込む巣黒るいを、その咳すら食べたいといって「お咳飯」という造語で元気づけようとするチャット欄まで含めて)。それはあんたま*5というユニットが年月をかけて築いてきた少女と少女との通い合いのことでもあるし、あるいはミソシタ*6の見事な情念論のゆくえでもありうる。私自身まだ深く追えていない、高い城のアムフォ*7はそれにしてもきっとすばらしい(こうした愚かな断言を愚かのまま投げ出すための椅子をここにつくっておく、狙いたいやつは狙え)。もちろん、けして構築的ではない、数時間単位で流れるゲーム実況のなかでのみ明らかになる言語の閃きもある。金田淳子が実況動画の魅力について「セーブ、そして刺身」というフレーズで示したように*8、ゲームプレイの外から伝えられる主体の時間的切片の魅力はvtuberたちの動画にも確実に存在している。


 その配信時間の長さと量においてほとんどサイケデリックなまでのめまいをいつも与えてくれるれらたんの、優れたカップリング雑談*9を思いながら、この文を終わりにしよう。この配信においてれらたんは、自身、長く創作してきた男の子たちを配信画面にプロフィールつきで召喚しながらボーイズラブ語りに没頭していく。そこでキャラクターたちは学園編、軍事編など、さまざまな世界のもとを浮遊しながら好意と憎悪のまぜこぜになった愛をとりかわす。男の子たちは今もれらたんの頭のなかでお話の生成をやめないのだという。「設定資料」を露骨にさらすことと、「物語=本編」を語り伝えることとの間に明瞭な境界線はなく、男の子というカードをかきまぜながら裏に表に飛び交うれらたん本人の心の矢印を、視聴者は画面上の立ち絵のふいの移動、振動に見出すことができる。やはりこの、設定資料を暴露させつつ、実際にキャラクターを指し示し、動かしながら語る姿に強いものが宿るのに違いない。
 5分だけじゃ足りない、もっとしゃべらせて!という訴えの現代につきあうかどうかはたしかに、視聴者の選択の現代にゆだねられている。それを配信者も視聴者も互いに意識している。「しゃべろうと思っていたこと」の計量をしかし、なしくずしにするかのように、「しゃべろうとは思っていなかったこと」の驚き、輝きが顔をのぞかせるのも、そのあらためて見いだされた互いの意識関係の間でのことだろう。ひとはそこで時間と知り合い以上の(そしてもちろん以下の)関係を結んだ自分に気づいたりするかも知れない。

*1:広瀬大志「髑髏期」p.50、『広瀬大志詩集』、現代詩文庫、思潮社、2016年

*2:「『百度目の四月』を迎えるのはどの月?」(http://kyollect.hatenablog.com/entry/2018/03/10/164530

*3:鳩羽つぐ(https://www.youtube.com/channel/UCGaUWM5OQ7hU1JwbqvNBR4w

*4:〜旅するバーチャルyoutuber〜動く城のフィオ「【コラボ02】白黒城士PUBGコラボ配信」(https://youtu.be/rb_iHHUsRB4

*5:岩本町芸能社YouTubehttps://www.youtube.com/channel/UCFI81W9F49a7GvimKF905eQ

*6:poemcore tokyo(https://www.youtube.com/channel/UCctWfjgLUh1yt-Wdz6W4yFQ

*7:人形劇系異世界Youtuber 高い城のアムフォ(https://www.youtube.com/channel/UCRtI9u0ddHldLWB27ZgxtdQ

*8:金田淳子「ゲーム実況、そして刺身。」pp.184-190、『ユリイカ』4月号、青土社、2009年

*9:れらたんchannel「男の子は男の子同士恋愛すればいいんじゃないかな【088】」(https://youtu.be/iSA8R1To6ws