天野大気は2000年初頭のあたりに、インターネット上での「子供」の書き込みについてすでにこんな風にかいていた。記憶に依っているので原文はこのままではない。「掲示板なんかで子供みたいな書き込みするやつがいるなあ……と今まで思ってきたけど、子供みたいなんじゃなく、実際に子供が書き込んでたのかも知れない」。こうした子供への態度設計(主に「精神年齢」からの判断の割り振り)はやはりそのまま受け取るには問題含みのものでありつつ、相手がなにかのふりをしていると見なすことをやめる、という態度へ開いていく点で肯定的なものをも含んでいる。何歳だろうと、性別がどうだろうと……あなたが認めようと認めなくとも言い、書き込み、放送するひとたちは現にいるし、先入観で痛い目を見たのならそれは勝手に年齢を期待した側の恥に違いない(何歳くらいであって欲しいというような「スケベ心」を抱いてしまうこと自体を否定する気もない)。
 ところで世の中には「プロ幼女」(……)なる不可解な呼び名があるそうだ。そこでは嘘をついているということが前提されている。年齢を極度に幼く偽って振る舞っているということが、前提されている。そうして、「ほんとうはそうでないのに」いかにも幼く振る舞ってみえることへの驚き、その偽りの幼さを技術的な面から評価するという謂いが「プロ幼女」という呼び名には封入されてあるのだという。

 ミラティブからいま中継されてくる、勇気ちひろと森中花咲の待ち望まれた談話をときめきとともに聴いているところだ。彼女たちがいったい何歳だろうがかまうものか。「あのひとは、ほんとうは何歳だった」などというけちな「情報」によっていまさら情動を励まされるほど、まだ私は疲れていないつもりだ。ちーちゃんも、かざきちゃんも、そんな情報の助けなどこれっぱかりも要らないところで、ひとびとの前に一個の姿を描いてくれている。