影響関係を実体的に取り出す必要はないという立場はありえる。ありえるというより、ほとんどの人間はそんな風だろう。誰それのなになにからはしかじかからの影響を感じるとか、自分は誰それからの影響を受けてきたと思うとか。そういったものは機能主義的に把握すれば十分だという立場は、なんとしてもありえる(影響がある、またはないとみなすことで実際に自分や場や作品がどう変わって見えたり、感じ取られてくるか……「腹をくくる」ことにもかかわるものだ、強い影響、弱い影響)。影響が実体でないならそれは幻と言われる。そして実体ならぬ幻を実体だと再度みなすことはいつでも賭けでありうる。具体的計量として誰にも剔出しえない影響の「あるなし」を言うことはそのときごとに、ひとにとって賭けでありうる。現状の単なる追認や見当はずれの神様ごっこと背中合わせの賭けとして。
 (ポピュラーミュージックでもよくある光景を思い浮かべている……フォロワーがオリジネーターをツアーの前座に採用するというものがある。あるいは成功した後続者がインタビューやSNSなどで自分たちより商業的には失敗している先駆者をプッシュしてそれがフィードバックされることもよくある。解散したグループがその後の「再評価」「再発見」に助けられて再結成することもよくある。そしてオリジネーターがそもそも自分たちの生み出したジャンルの無数のフォロワーたちに影響し返されることもあまりによくある。すべて「よくある」ことだ……「時代を先取りしすぎた」「ジャンルがまだ混乱していた時期ということもあり……正当な評価はされずに……」「メンバーのひとりはやがて後の○○シーンの名プロデューサーとして知られていくが……」「なんのことはない。やってることは○○年代の××と同じ」……影響、その悲痛と栄光の一切)


 話をかえて。Art Rockというものが大昔からあって、できるだけ穏やかな言葉を選ぶなら「しゃらくせえ」ジャンル名ではある。ゲラゲラ笑うひともいるのは間違いないし私も眼をすべらせてしまうけれど、歴史を通じて大きくその意味を変えてきたなかでもとくに、2000年前後あたりから使われるArt Rockは美的なオルタナティヴメタルと交換可能な側面がある。Art Rockは結局そこで「声のパフォーマンスがなまめかしいロックミュージック」として聴取者としての私に通じてきたと思う。つまりToolではなくてA Perfect Circleでのメイナード・ジェームス・キーナン。

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 A Perfect Circle(2003年)。キャリアを通してメイナードの声のモードは「帯」「布」であって(デュエットもしたトーリ・エイモスを隣において聴いてみること)、吹いてくる風に対して帯や布がゆらめきを受けつけやすいように、メロディの要請したものが声の上昇と下降、停止、ブレス、リリックの分割線の引き方などにくっきり浮かび上がる。素朴に言うと「くねくね」「ふらふらした」歌い方の筈だけれど最高の音程のコントロールと、甘いタールのような声質によって、余韻は「くねくね」「ふらふら」の対極をしか指し示さないようだ。メイナード的な韻律でいうと間奏後の、Little angel go away……から始まるパートは指標的なものだろう(「peace of mind What/ever just as/ long as I don't/ feel so」)。しかしこの曲はコーラスがそうだけど、歌のバックでギターがおいしいメロディをずっと弾いてる(花開く感じの)ところに着目があって、この取り合わせは1stアルバムの"The Hollow"のアコースティカルなバージョンのようでもある。

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 A Perfect Circle以降、10 Yearsなど、なまめかしい声のパフォーマンスにあてられたオルタナメタル=アートロックを演奏するグループが無数に出現したようだけれど(古くから孤塁を守るDeftones、まったくべつの出自から近いムードを達成したKatatoniaなどは除く)、これはHead Control System(2006年)。ときに小節をまたぐドラミング、メカニカルなギターリフの反復に「ウワモノ」のリードギターがテンポの分数をMath/SFっぽく意識させつつ、ファルセットと地声を行き来することでより「帯」「布」としてはためく声のパフォーマンスをへヴィミュージックに落とし込むしかたは、ハードな曲におけるA Perfect Circleからの流れを十分感じさせる。

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 上の流れで見てきたときに、A Perfect Circle/APCフォロワーの影を実はほとんど感じさせない(バンドアンサンブルや楽曲のバラエティをみてもQueens of the Stone Ageが直接の参照項だろう)のがOpen Hand(2005年)。とはいえ、ポストハードコアの下地を濃く持ちながら大きく変身したこの2ndアルバムのなかにも「なまめかしい声のパフォーマンス」をどうへヴィミュージックに持ち込むか、という意味での連続性は感じられるかも知れない。Art Rockというタグはどちらにも機能してしまうだろう。この曲は同時期のシーン、90年代のポストハードコアの「爆発」を現代のエモの「疾走」に解釈し受容していくBPM上の変遷へのキャッチーな目配せがあったと思うけれど(体感速度は印象を裏切らない)、たとえばダリル・パルンボ(Glassjaw)をひとつの頂点にとるとそう見えるようにパンクルーツな声の出し方、単語を舌に引っかけ、語尾でしゃくりあげるようなエモの歌唱法とは一線を画すのは、やはりなめらかな波のように引いていくファルセットへの忠信が根拠になっているからではないだろうか。車を捨て、オレンジの外灯の下で高速道路を徒歩で歩きだす夜があるなら、この曲のイントロ、重なり合うギターのテクスチャーがふいに近づいてくる。