両手いっぱいに、と修飾できることの幸せさでした。


 アニメ「ゆるキャン△」第3話(「ふじさんとまったりお鍋キャンプ」)まで。3話ってまあ、いろいろときめく思い出ありますアニメでは。それは措いて。
 各務原なでしこさんが籠を抱えてる絵ですね。鍋やるべ!ということで具材が入ってる。食っ料積み積み~~~です。そういうでかっ籠抱えたまま志摩リンさんをさがしてキャンプ場をうろつきまわるんですけれど、なんでしょう。リンさんに会うためって目的はこっちもすでに知ってるんだけど、でもなでしこさんの動き見るとどう見ても、リンさんさがして歩いてるとは信じられないようなんです私。うろつき加減、というのかなあ……。
 たしかにきょろきょろしてはいます。富士山をバックにした池の手前で戻ったり、炊事場兼食堂らしいところに入ってきて見回したりして。けれど、なでしこさんがあまりにゆうゆうとしてるからでしょうか(なでしこさんに対して周囲の環境がしずまる画面づくりも手伝ってでしょうか)。誰かをことさらにさがしているとは思わせない、足取りのたのしみがなでしこさんにはあります。といって、ついででリンさんをさがしている、リンさんに会うのは二の次なんだ、とその歩みを捉えるのもむつかしい。会いたいひとをさがしていることは間違いないのに、気ままな足の優位も同じくらい疑えないものです。
 藁とか筵の色した山々を背景になでしこさんが歩いてきます、正面からのカットです。山盛りの食材籠の底を両手で抱え持っています。両手いっぱいに、と言いたくなりました。両手いっぱいに、ってことがすきです。なにかをそうやって抱えてゆうゆうと歩いている姿はあこがれに似てると思います。旅とか旅人という言葉はそのえがきにかかる意味内容に比べてフラットすぎます。私はだから、旅とか旅人という言葉じたいでは欲情しにくいひとです(欲情が強すぎるなら「心が浮かれる」くらいで聞いてください)。そのくせ、なでしこさんがテントしてるリンさんについに駆け寄る場面では、旅人。ふたりとも、という言葉が素直にでてきました。「留まる者」と「通過する者」という古い二分法にしがみつくのはやはり、こういった場所で諦められると思えます。両手いっぱいに食材を抱えてゆうゆうと歩く子も、ひとときの拠点をひとつの季節のもとで構え動かずに風を浴びる子も、旅することの宿りのうちにくっきりと焼きついて見えます。