「ガラスの花と壊す世界」

 予定を立てるたのしみなんておぼえちゃったら、もうなんでもできそうです。ばらばらなのは眼の前の明るい家屋のほうで。映画が始まったころには互いにさかさま(それが絵的に誘惑ではあった)だったデュアルが、ドロシーに髪をいじらせるのをゆるすとカメラは空へ流れていく。


 とりあえず二回通して観て。「それらしいなにかを感じることはあるけど……。人間の感情というものだね」(デュアル/種田梨沙)、この言い方がうれしい。じっと覗き込むのはリモ。持続する瞳のひと。私が肩入れするのはドロシー。バージョンアップもダウンも身軽と感じられるなら。そしてもう、身軽と思えば身軽に感じる、なんて迂回して言ってる訳じゃない。


 ふたつのときめくような挿入歌が結ぶ地球めぐりのシーンはもちろんよくって。挿入歌の流れる場所というのを思う。至るところというのを思う。ジェラール・ド・ネルヴァルからアレクサンドル・デュマへの狂おしい手紙のあの一節を。エッフェル塔、ピラミッドから、湖畔のボート、コンビニのアルバイト、修学旅行まで経験してまわる三人。ドロシーはどこで予定のたのしみをおぼえただろうか。デュアルはどこで、むきになることを。画面上では繋ぎ合わされたバカンスに、挿入歌が糸をくぐらせていき、なんの、いつの時間で計るべきか知れない作品の時間というもののふるえを、西暦を元につくられた設定などよりずっと端的に伝えてくれる。
 ペットボトルの上のつまさきだちスピンがすき。わあ……です。「宇宙よりも遠い場所」といい、遠くのひとは小さく見えるってだけのことがなんでこんなにいいんでしょうね。