「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」1~13話

 自動手記人形、という字づらから誘いだされるものは当然ある。それだけ強い字づらだからだ。その手の「知識」はあらかじめ作品の外に置いてきた、とは言えない。干渉されるのはしかたない。それにしても、抑圧という嫌われ者を自分のある部分へと積極的に与えなければ感想ひとつかけないときもある。そんなことをわざわざ最初に言ってしまう程度には自分もつりこまれているだろうか。ところでひとが言うように文章中で「書く」と「言う」はしばしば混同される。ふたつ前の文で私は「言ってしまう」とかいた。そして今またふたつ前になった文で私は「ひとが言うように」とかいた(この「ひとが言うように」の意味は私は以前ある本でそんな主張を読んだ、ということだ)。かかれたものに対してこんな風に、言う、という口頭的な表現を持ち込んでしまう……持ち込めてしまう。この言い方が感傷に見えたならやり直そう、他人の畑から壊れたじゃがいもを拾い上げる子供は私じゃない。


 ルクリアと向かい合って互いの言葉をしたためていたのは3話。タイプライターを挟んで座るの、いい。4話、アイリスの「ねえ、自動手記人形さん。手紙、書いてくれる?」も。自動手記人形さん、ていうのね。こういう、あらたまってお願いする、あらたまり性には掛け値がない。あと手紙で思いを伝えたひとから翌日面と向かってなにか言われる照れくささとか。


 経験で言うとこの作品にかぎらず、お人形さんみたい、という劇中人物の台詞に共感することはない。お人形さんとは思えないからだ。私にはそうは見えないからだ。それは私の問題だ。すぐよくなるから、という慰めの言葉など信じられないようにだ。もし「お人形のよう」と誰かが言われたのなら、この作品世界ではそのひとはお人形さんのようだと見なされるのだ、と心に留めて観てください、という作品からの約定として受け取ることも少なくない。その自分の態度に泣きたくなることはないけれど、自分が「読めてない」ことはよく判り……だから作品世界の誰も指摘しない、ヴァイオレットの鼻の上の塗りの一刷毛、周辺の肌の色味と照らして狐色のようにも感じるペイントが、そんなことで泣きたくなるほどうれしい。


 あまり大きな問題でないところでは、「不殺」みたいな用語を、音声として発するための台詞に組み込むのはどうかと思いました。各話タイトルと劇中台詞を最後に重ねるしかたも鬱陶しさが勝る。EDは、タイプライターが糸を引く天蓋の絵が沁みた。


 作中で言われるようなサービス業としての側面に焦点化すればおはなしはメイドものの様相を呈するだろう。同じように帰還兵ものとして観ることも。女性に寄り添う女性……に寄り添う女性はそこかしこにいる。代筆という主題はそれ自体すぐれて気持ちをゆらすものだし、依頼を受ければどこへでもというヴァイオレットの道行きを追えばそこにはロードムービーの側面さえ見いだせるだろう。その豊富な手数をひとはそれぞれ受け取ってこの作品を観るのだと思う。さらにブーゲンビリアの兄と弟にはどうしたって淫靡な匂いが立ち上がり、私だって興奮しなかったとは言わない。その豊富さを受け取った上で、ここではヴァイオレット・エヴァーガーデンの顔だけを思おうと思う*1


 相手の言葉に、身振りに、驚き、情動をわしづかみにされ、はっと息を呑むことを自明の表現としてしまえば、すでに毒されているには違いない。アニメのうちでも思い余ったひとは、なにかを「表現」しようと思ってはっと息を呑む訳ではありえないから。そもそも「はっと息を呑む」という言い方さえアドホックなものではある。
 しかしヴァイオレットのことを思い返してみて最初にわきあがるのは、彼女にそのようなシーンがほとんどなかった、ということよりははるかに、ヴァイオレットがはっと息を呑む瞬間だけが映像に残されないようにされているという確信に近いなにかだった。撮られないことでヴァイオレットの瞬間が守られていると言い換えてもいい。もちろんヴァイオレットは驚かないということではまったくない。そとから見れば顔色を変えないだけでほんとうは、とかそういう話でもない。そうではなくて、カメラに映るのはいつも「息を呑み終わったあと」のヴァイオレットの、徹った顔そのものだという確信だ。相手の顔とヴァイオレットの顔と、カットの切り替わる隙間に息をついた瞬間は差し挟まれていく。そのことに映像上の根拠などいっさいないからこそ、私もひとり、間違って確信することをゆるされている。

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(「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」第5話「人を結ぶ手紙を書くのか?」、©暁佳奈・京都アニメーションヴァイオレット・エヴァーガーデン製作委員会、2018年)

*1:平素の表情から掬ってもいい。早いうちからヴァイオレットはちょくちょく「情けない顔」を見せてくれていた、と言っても彼女を貶めることにはならないだろう。藤田春香(シリーズ演出)による「おぼつかない子」(http://violet-evergarden.jp/special/worldtour/#rpC3AFA)というコメントもまた、私から見えるヴァイオレットのそういった顔――ぼろぼろな、ぼろくそな顔、に対する心象に沿うものではあった。