「ひなこのーと」1~2話

 夏川くいなにひな子が「きれいなひと」みたいなことを言ってくれて救われました。髪の跳ねぶり、にゃーんなくち、物理的に本を食べる、といったマスコット指向の造型を十分与えられてあるかとみえるくいなだけに、そう言いとめてくれるひとがいて、心強かった。そうでなくっちゃです。キャラクターの配置にもふしぎに新鮮なものがある。
 コンフリクトが起こるのは、ひな子が人前では緊張して「かかし」化してしまうことが、作中でほんとうに畑のそばで「かかし」として立たされ、働かされてしまうという過去へ拉致されてしまうところで、私はこのことに肯定的なものを見つけようとしてむなしく苦しんでいる。軽いくすぐりだと思い込もうとして、どうしても流せないでいる。どんな他人でもなく、この私にとってこれが問題なのは、作中世界で「現に」「実際に」時間が経ってしまっているということに尽きる。ひな子の時間がそれで確実に奪われている、ということに尽きる。無時間性に基づいた可笑しみのシチュエーションが、きっと四季を伴いたい有時間の語りにぶつかって、じくっとひな子の時間が痛んで見える。ひな子自身の農家のひとたちへの感謝や、動物たちとのコミカルなふれあいはたしかに提示されてもいて、だからこのような言い方はひな子の気持ちに照らして不当だと言われるかも知れない。端的に言えばしかし、この子の時間を奪わないで、という私の小さいけれど決定的な不審はやはりだめだと言うだろう。折り合いをつけることは、不可能だろう。だから、わずかに、だからわずかには期待を持っておく。かかしが胸躍るイメージであるのには違いない。しかしそれを強く打ち出そうとしすぎて、「なんと、畑のそばに実際に借りだされるくらい」などという寂しく貧しいミメーシスにまで退却する必要はない筈だ。「われわれが望むのは、われわれを星々に結びつけている絆が、われわれを大地に繋ぎとめる絆にとって、致命的なものとなることである」(ジョー・ブスケ)。すでにひよこが寄りつくという正当なイメージはひな子に向かって芽吹いている。