「リミット」(2010年)、「キャビン」(2012年)

 思うに、「リミット」は館ものの機微を受け継いでいるだろう。映画が始まる。主人公は暗闇で目覚める。どうやら自分は、狭い室内に閉じ込められている。なぜか手元に残されていたライターや携帯電話のライトを頼りに周囲を照らしていくうちに状況が見えてくる。自分は木の棺のなかにおり、しかもおそらく土の下に生き埋めされている。
 こうした情景把握からみると、広大な屋敷を右往左往する館もののホラーとは一見真逆に思える。ほんとうだろうか。寝返りひとつに荒い息をつき、自分の足元さえ容易に確認できないスケール感は、平地ならばすぐ気づき、すぐ行える筈のことに手間をとらせる。「ドント・ブリーズ」(2016年)での美しいテントウムシの挿話と対照的に、「リミット」の侵入者はリソースを無駄に食わせる敵になる。見事なくらい繋がってくれない電話は措くとしても、木の板に電話番号を次々とかきこむとそれはもうおぼえきれない暗号だ。肉体が館の支配下にあるとき、電話相手ひとつひとつは部屋という陰影を帯びてくる。館ものにおける部屋めぐりと、助けを求めてかけ続ける電話めぐりが、「脱出もの」というステータスにおいて端的に通じてくる。決定的なのは、ポール(ライアン・レイノルズ)を上から撮る視点の高さだ。この高度は実際不可避なものだ。まず物理的な制約がある。棺の蓋部分から主人公の顔など撮れたものではない……。しかしそれ以上にドラマの後押しがあるだろう。棺の蓋という障害物を忘れることで、カメラは、ポールを取り囲む木の板と砂という舞台背景を見せながら、同時に主人公の心情を段階化するリズムのため撮影対象へ接近する動きを可能にする(近づくにはまず離れていなくては)。


(「リミット」、 (C) 2009 Versus Entertainment S.L.)

 「リミット」のこの天井の高さは、ほとんど館に憧れているだろう。「窓は細長く、尖っていて、内側からはぜんぜん手がとどかないくらい、黒い樫の床から高く離れたところにあった」とかなんとか。


 ところで襲撃者に対して生き延びたいサバイバルものにおいて、館や山小屋、ひとの住んでいない民家、典型的にはゾンビものにおけるショッピングモールは、リソース管理問題の両義性を浮かび上がらせる。リソースが豊富に眠りしかも安全な場所とは、そのままリソースとの心中を突きつける牢獄だからだ。そこにこもっていれば十分な食料と武器で生き延びられるのはたしかな反面、まさにそこにこもっているからこそ食料や武器を消費し続けるはめになる。そこにいればリソース管理は楽になる反面、そこにいることでそもそもリソース管理問題というものが強迫的なかたちで発生してしまっている(そしてもちろん、その外にうかうかと出ていける状況でもない)。ドラマとしては、こういった建物をめぐって籠城戦という華々しい絵が見込める。逆に手持ちの武器や食料がからであれば、リソースを求めて移動し続けるスリラーの機微が前面にでてくるだろう。図式化して言ってしまうと、だけれど。「リミット」ではライターの油、携帯電話のバッテリー、そもそも生き埋めであることから真っ先に懸念される酸素、といったものがリソース管理の材料になりえていた(このうち酸素不足になることだけはないと映画を観る者は誰もが知っている。笑えるくらい電話相手を留守にさせ続けるちからと、酸素を棺のなかに配給し続けるちからは同じものだ)。
 「キャビン」では、山小屋に遊びに来た若者が襲われる。しかしリソース管理問題はここでは蚊帳の外にある。単純に作中時間の関係もある。襲われてから、終結を迎えるまで大して時間が経過していないからだ。飢えの問題など生じないし、武器が要ることになるような展開とは違う道筋を脚本が誘導するからだ。といってリソース管理問題が消え去っている訳ではなくて、ここでその枠組みはより組織的なものとして外部に要請、委託されてある。もし画面が華々しく見えるとしたら、その華々しさにおぼえる快楽の条件は複合的なものだ(成功、失敗、計画、計画破棄、監視、保護、解除、逃亡など)。おはなしは、「地上の大火」(マルセル・シュオブ)のようにはならない。鑑賞者がその気もなく観られるものを、私たちもそれ観たかったね、と受け入れた断念の上でキャラクターが言うばかりだ。聖性に達することを拒むことで、こぼされる他愛ない気がかりがあり、たぶんそうした残り方で私はキャラクターの結びを受け取っている。
 私がわざわざこの映画を観るためだけにNetflixに加入してみたのは、「Lobotomy Corporation」というだいすきなPCゲームがあって、その開発者が「キャビン」を云々していたから*1。そういうなりゆきもあって、もう少しくわしく言うといろいろ言ってしまうことになるので、ここではやめておく。「わあ、ツール型の子……!」とかどきどきしたり、あのシーンを見てロボトミのあの画面づくりが決まったんじゃないかなあ……というところもあったり、くらいなら言えるけれど。でも、ロボトミと同じくらい「Portal」っぽいかな。ナレーションのせいか「舞台裏」への入り方のせいか、判りませんけれど。

*1:Game*Spark「異形のバケモノ管理SLG『Lobotomy Corporation』は『SCP』の世界観を色濃く映す」https://www.gamespark.jp/article/2017/05/24/73550.html