「新幹線大爆破」(1975年)

 作戦決行前のアジトで、沖田(高倉健)と古賀(山本圭)が会話をしている。劇中でこのシーンの身分は「回想」であり、なおかつ、語りの性質は「もしこれが成功したら」という犯人たちの未来の算段でもあるから、ここは、ねっとりとした(敗北の)抒情=予兆が十分期待されて撮られた筈だ。

「古賀。お前、何やるつもりなんだ?」
「……革命がうまくいった国へ行ってみたい」
「仲間に入るのか?」
「いや。きざに言わしてもらえば、もう一度、人間への信頼が取り戻せるかも知れないと思ってな。──沖田さん、何やりたい?」
「俺は──」

 ところが沖田が「俺は──」と答えようとするのを待たず、古賀はアジトを出ていってしまっている。古賀は沖田に背中から問いかけている、それは映像で判る。古賀の問いも、その声の質も、沖田に対して「この場であんたの答えを聞かせてくれ」といっている。そして、にもかかわらず、古賀はさっと身を返し、カメラの外へ出ていく。沖田は後ろを見ていない。もしかすると、古賀が出ていったのにも気づいているかも知れない。映像に残るのはしかし、古賀があくまでまだ背中に立っていて、自分の答えを聞いてくれていると信じる沖田の、やや弛緩した声と姿だ。



(「新幹線大爆破」、(C)東映
 映画が終わりにさしかかり、ストレスのすべてが、倉持(宇津井健)を望まない聖者にするべくやってくるころ、沖田はテレビで自分への呼びかけを見てしまう。その放送は倉持にとっては「嘘っぱち」であるとしても、沖田にとってはそうではない。彼は、呼びかけに応え始める。ここには決定的な遅れがあり、爆弾の心配がなくなった今や、ドラマでは悲喜劇と称される類のものではある。沖田の応答は必然的にむなしい。ところで、ここで先の古賀との会話場面を思いだすことができる。「沖田さん、何やりたい?」と訊いておいて、自分はさっといなくなるという行動を。それはつまり、聞き手がいなくなってもダイアローグをやめないように、という、不在性にも傷つけられない対話の練習風景だったように思われる。沖田の対話相手は国鉄にはすでにいない。そもそも沖田への呼びかけは時宜を失っている。としても、そこにはもういない古賀に向けた言葉を、古賀の不在をたしかめることなく口にできたように、沖田は間接性と直接性とが折り重なる黒電話へ、その声をもう隠してはいない。遅れすぎた沖田と、早まって退場した倉持との間で、いまさら救われる人間はいない。ただ、ダイアローグという出来事そのものだけは人間の外で救出されつつある。