続き(「スキャナーズ」)

 昨日の日記で一度立てた自分の考えに今日は反発してみたい。昨日の記述では、スキャンする者とされる者(=原因と結果)との区別が、役者の顔の演技を追うことで割合と観ている側にもつきやすいような言い方を私はしていた。しかし、映画をリアルタイムで観ている最中の感触としては、必ずしもそうではなかった。そこで、反論的な立場から見て拾えそうなシーンを「スキャナーズ」から少し取り上げておく。映画を終わりまで観て、一通り劇中のスキャン概念を理解したあとでの昨日の感想では、実際に観ている間のもやっとした心情やスムーズに整えがたい印象が忘れられていたと思う。その補足もしてみたいけれど時間がない。


 この映画で最も有名なシーンのひとつは「高出力のスキャンによって頭が爆発するところ」なのだという。私のつかんでいた前情報は、昨日かいた通り、超能力合戦の映画という以上のものではなかった。だから(栄誉なことに?)、その有名な爆発シーンも予備知識なく観ることができた……しかし、ほんとうにすごいのはその頭の爆発にいたるまでのシークエンスだったろう。すなわちレボック(マイケル・アイアンサイド)と眼鏡をかけたスキャナー(役名が判らない)との間でなにか尋常ならざることが起きているようだけれど、爆発の直前までなにがどうなっているのかよく判らない、その「持続するつかまれなさ」であったようだ。
 映画が始まって10分を過ぎたあたりからが問題のシーンだ。講演会場のようなところで、眼鏡をかけた男性が「これからみなさんひとりづつにスキャンをしてみたいと思います」と語りはじめる。この時点では意味不明瞭な台詞だろう。男性の風貌もあって「スキャン」とは人体に対する医療用語かと思ったほどだ。スキャンとスキャナーとを繋げて考えられるほど、まだこの映画の語り口に馴染んでもいない。だからなんとなく、このひとはドクターかなにかかな、会場の奥に医療機器みたいなのがあってそこで検査するってことかな……と思っていると、彼はスキャン体験希望者をつのりだす。好奇心、様子見、緊張の雰囲気が客席に漂う。ひとりの男が挙手をする。彼がスキャンされたいようだ。登壇し、同じテーブルに着席する。なんでもいいので考えてください、組織の秘密や知られると困ることなどを除いて……というような注意を眼鏡の男性は言う。どうやら、話はつかめてきたようだ。内心に考えていることを当ててみせよう、というのだろう。展開中のストーリーへの解釈も軌道修正される。このドクターかと思った男性は、読心術のような念力を使える訳だ。画面が集中しだしているのに気づく。「スキャン」が始まった訳だ。




(「スキャナーズ」、(C)1980 AVCO EMBASSY PICTURES CORP)

 観終わったあとではこのふたりが実はどちらもスキャナーなのだと知っている私は、映画を観ていた最中の感触をはや忘れつつあるかも知れない。しかし間違えもなく、眼を閉じてぎくぎくと睡眠中のように動くレボックのみならず、眼鏡の男性の側にも「余裕」というパラメーターを振っていた筈だ。というのも、眼鏡の男性の能力的な奥行きがまず把握できないからだ。スキャンという行為の内実を知らず、まだでてきたばかりのふたりのキャラクターの底も知れないので、どこまでいけば「ヤバい」のか判らない。しかしより私に問題なのは、スキャンする側とされる側がそもそもここでふたりにどう振り分けられてあるのか、なんともはっきりしないことだ。彼らはそれぞれ対照的な身振りながら、なにかある大きな力に巻き込まれているようだ。それでも、眼鏡の男性の言葉からして、彼の側が能動的にスキャンを試みようとしていたとは判っている。それも途中までで、彼がなにをしているのか、それともなにか「されている」のかは、精確につかめなくなってしまう。当初、首、顔だけをぐいと動かし力んでいたのが、がくがく、ぶるぶると震え、そのうち自分にも制御できないように手を顔に持っていく様子はたしかに必死で、それでもまだ「失敗」とは確認できない。いや、彼はいったい、なにごとかに成功しつつあるのか、失敗しつつあるのか。身振りだけが激しくなっていく。
 この眼鏡の男性が、かたわらのレボックになにごとかを働きかけており、その激しさは今や過剰になりつつあることだけは判りつつ(合間に挟まれる客席の動揺)、だからといって彼の力能が破産するほどではまだないのではないか……? それとももう危険なのか? 止めて欲しいのか? まだ力の底があるのか?という風に……。助けを求める苦悶のようにも、飽くなき挑戦への意志のようにも、つまり成功も失敗も受け入れる彼のからだの痙攣は答えを打ち明けないまま最後まで行く。いつの間に、彼は「そんなこと」になっていたのか、と私は今更みたいに思う。


 この場面はところで「対決」のシーンであろうか。そう、ふたりのスキャナーの対決だ、というには強い違和感がある。それは一方は他方をスキャナーと知らないから(一方的だから)、というような秘匿性によっているのではたぶんなくて、単に「ふたりが同じ机に、同じ方向を向いて座っている」という絵が問題なのだと思う。サイコキネシスという行為を見つめ合うという状態から昨日考えていた私は、対決についても同じことを言いたくなっている。「顔」の問題はこうしてまだ続いていくだろう。