私がかいているこの場所のアドレスのうちにblogという文字列があるのをいまさらのように不審に思っていた。私「も」ブログを嫌悪していたからだ。今、誰かが、時代錯誤……!と私に耳打ちした………。そうかも知れない。自分が今もかいているこの場所やここの文を「日記」ではなく「ブログ」ともし誰かに呼ばれたとしても、やり場ない怒りのようなものを呼び起こすことはむつかしくなってしまっている。状況は変わったのだとも言えるし、自分がちからなく屈したのだとも言える。
 くわしい経緯は忘れた。ただ2000年代初頭にウェブログの省略形:ブログ, blogという「外来語」が急に取り上げられた時期があった。そのとき「ブログ」という用語は少なくない日本の「個人サイト」や「ネット日記」の書き手たちからは、まずもって軽蔑されるべき言葉だったことを思い出す。急いでここで条件をつける必要はある。私が当時周回して読んでいられたネット日記などわずかなものだったし、その記憶もどんどん薄れてきている。それにしても、今もそらでおぼえている「反応」の典型というのはたとえば以下のような口ぶりを取ってはしゃいでいただろう。

 ガ━━Σ(゚Д゚;)━━ン! ぼくのしらないところでそんなことが…… こんなサイトなんかやってる場合じゃないYO! これからの時代はblogだ! そして、ぼくらはbloggerだ!
 あと2週間もすれば、ホント、周りが全部、bloggerになってしまう。これはやはり革命かな??
 ど、どうすればいいんだ…… 流血革命だ! 血の日曜日だ! 皇帝の首を断頭台に乗せろ!!
(「見下げ果てた日々の企て」2002年11月8日 https://web.archive.org/web/20031003034320/http://picnic.to:80/~mhk/walk/walk0211.htm#8

 この書き手自身のちに回想して言っていたように、徹底的に重みのない文ではある。そしてその、悲しいほどにはしゃぎきった軽口の極みによって「ブログ」という用語から漂うオシャレ臭さハイソ臭さ……結局は余計な「重さ」を、「ネット日記」というとっくに確立してあった自治区の側から死んでも拒否しようとしているのが伝わる。こうした植民地問題的な機微はいつの間にかなしくずしになってしまったようにも、勝手に問題ごと解消されてしまったようにも見える。書き手の側にしても、「最新のテクノロジーに対置される人間の感性とは、ひとつ前の時代のテクノロジーのことである」とか誰かのようにうそぶいてみたりして、ブログを嘲るネット日記に対してもシニカルな態度で突き放すよう心がけていた書き手は当時からすでにいただろう。しょせん五十歩百歩ではないかと。
 上に引いたMHKの記述とさほど離れていない時期にかかれた「読冊日記」(https://web.archive.org/web/20031004124337/http://member.nifty.ne.jp:80/windyfield/200305c.html#29)、その29日と30日における記述にもやはりブログ嫌悪の感情が押し出されてはいるものの、少なくとも軽口よりは重みによってかくことが選ばれているようだ(しかしこの書き手がここで期待している「銀河通信」とは、このように大きな構えでかかれた日記などとは遠いところで、見つからないように守られて読まれていた筈であって、そこにこの書き手のどうしようもなく、また必然的な「判ってなさ」も露呈しているにせよ)。ブログという外来語ではなく、日記という日本語を称えるべくその修辞学を向かわせているこの書き手だけのせいではないと思いつつも、いつの間にか「ブログ」という用語には当然のようにコミュニケーション強者たち(……)の顔の、そして「日記」の側には心優しく切なくもうつむいたひとの顔のコノテーションが約束されだしている……………。
 「ブログ」という語に対する反応を読み返していて痛感するのは、おそらくこの時期のこうした書き手たちは「ブログで日記を書く」というような言葉の用法を認めないだろうということだ。ブログは今現在ブログサービスというかたちで、ネットで広くものをかくための一形式の名になりおおせているから、「ブログで日記を書く」という言い方はなんの疑念もなく可能な筈だけれど、「日記を書くのならブログなるものはない。そしてブログを書くのなら日記はない。だから、ブログで日記を書く、などという言語は存在しない」という二者択一が、少なくともこの時期の日本のネットには実体のように存在していたように思えてならない。思えてならないのは、私自身そうだったからに違いない(今も……? 今は……………?)。