vtuberについて私にかけることはすでにかいておいた筈で、ことにtwitterを辞めてからはますます自分ひとりで自分に受け答えする世界像になってしまって、いやそれでも、「まず愛すること」(アンドレ・ブルトン)さえ忘れ、○○がよかった、○○がよくなかった、くらいのことを自分でも信じていない口ぶりでいちいち報告するよりはもう少し違う語りのためのちからを蓄えるべきだろう、ということをあらためて思ってみてるけれどそれはそれとしてアイドル部はこれでずーっと全員追っかけて観てて、この前久々の牛巻さん配信(https://youtu.be/bl5bJ0wjq7U)では近所のお姉さんからゲームをいろいろもらった話がでてきたり、またピノさんが64のスターフォックスなんてプレイされてたので、いろいろ記憶をくすぐられてしまう。


 要らなくなったゲームソフトを山ほどもらうというのは私も経験あって、お寺の子供さんが受験でゲームをやめるから……ということで小学生のころ祖母を介してもらったんだった。それ以前にお寺に遊びに行くと、日当たりのいい廊下の隅に木の階段があってその陰に段ボールと大量のゲームソフトとマンガ本(「孔雀王」とかね)がちらと眼に見えてわあ、と思ったものだったけど、いざもらったソフトは「マイティボンジャック」とか「エスパ冒険隊」とか「クルクルランド」とか「ラグランジュポイント」とかでそういったゲームに対して適切な視線をもつことはやはり今でもむつかしい。つい最近プレイしたゲームで体内を模したグロテスクなレベルデザインのなか、下方向へスクロールする珍しい縦シュー「Rheum」も、瞬間的に記憶をたどらされたのはファミコン版「ドラえもん」におけるSTG面での下スクロールであったりして、感触は、根深く残っている。


 多少話がずれてSFCで私がお気に入りだったアクションゲームですぐ思い出せるものは「デモンズブレイゾン 魔界村 紋章編」と「ラッシング・ビート」で、これらはそれぞれ「スピンオフ作品」と「有名人気作品のフォロワー」という位置づけで眺められるだろうけれど、私自身はスピンオフの元のオリジナル……つまり「魔界村」はプレイしなかったし、「ラッシング・ビート」が歯をむき出しに臨んでいただろう「ファイナルファイト」も横目で見ていただけだった。こういった思い入れの乗せ方、原作に興味がなくてたまたま手にしたスピンオフやフォロワー(これは歌人の話でもある、あえてフォロワーというひとを傷つかせうる用語を振り回して言うなら私は誰かの「フォロワー」なんだと、いっときにせよ自認した歌人たちの道ゆきにいつでも胸をつかれる)の側にはるかに思い入れてしまう態度……も、いろいろな意味で自分を縛ってきたし、今も引き受けざるをえない問題ではあるに違いない。