よく「面白くてページをめくる手が最後までとまらなかった。ジェットコースターに乗るように一気に読み終えた」式の言葉を小説への褒め言葉と思ってるひとがいるがそれは褒め言葉ではない。というようなことを保坂和志が言ったのは保坂和志においてひとまず正当な言い分であったけれど、その流れで「だって本当にその小説の世界を気に入ったのなら本をさっさと読み終えて足早にそこを出たくなんてない筈だし、できるだけゆっくり読んでその小説の世界に長くとどまりたいと思うのではないか」というような言い分をするのにはそれもなんか違わない?と直感的に強い反撥をおぼえた。保坂和志の本を読んだのも相当に昔だし、まずこんな言葉遣いではなかった筈だけれど。
 一気に読み終えるとそれだけ小説の世界とのいわば接続時間(……)もとぼしいけれど、時間をかけて読めばそれだけ小説の世界とも長く交流が持続する……というモデルはどちらも読む時間を過度に作品の現前性と連結してみせている点で同じなように思われたからだろうか。「小説の世界」などという胡乱なうろおぼえの用語に自分からむざむざと巻き込まれかけているだろうか。また、ゆっくり読めばゆっくり小説に浸れるというのもほんとうだろうか(とてもそうとは思えない)。そして、こうした疑義をもった以上、まず文を、いやどこまでも原文を実際に読みこむという強靭な営為のほかにも、まるで小説の「持続」がありえるという「悪しき」「神秘」に私はコミットしていることになると言われるだろうか。