夜勤とは名ばかりで実質朝の9時まで、つまりコンビニの最も無惨な時間帯に向かって明るい羽を広げていく……。もう同じコンビニでそんな風にして10年以上働いてしまっている。この「しまって」という過失表現に私が今ここで込めているあらゆる念を他人が知る必要も教えてやる義理もないので言わないけれど、こちらがそうやすやすとは相手を殺害しないよう教育されていることを知った上で不愉快な態度を迫ってくる不特定多数のひとたちに出会うと、ああこういうひとがあの詩人、あの歌人、あのツイッタラーなんだなと思うことにしている(これは趣味で)。善良で優しく高潔な文をかいている、私自身今も胸打たれている言葉を差し出してくれた詩人なり歌人なりツイッタラーなりが同時にコンビニではちゃんとこういう態度を取れるひとなんだな、と自傷的に思い込むようにしている。
 問題なのは誰か決まった特定の嫌な人間精神たちが毎日顔を見せることではなくて、いったい誰がその日嫌な人間精神としてコンビニの店内で現実に「例化」するのかまったく判らないことかも知れない。つまり嫌な人間精神と接することは予想できず、毎日不意打ちの出来事に近くなる。10年続けていようが赤の他人から恫喝されれば手は震えるし口もきけなくなる。私もそうだし、私より年配の同僚だってそうだ。当たり前だと思う。むかつく顔してるなお前とか。間違えてんじゃねえよってあいつに言っとけとか。店内の大勢の前で響き渡る「早くしろよ!」(パロールがまた勝利しましたか?)。そして気持ちよく恫喝していった者のあとでは、(これは同情すべき)普通に並んでいた次の客に釣銭を満足に渡すこともできない。おびえによる手の震え、首の固まりは10年程度の経験などでは解消しない……手が震えることは私にあっては人間の条件だからだ。満載にしたかごでレジ台をいじめ、腕組みしてこちらをじろじろと見張る者。会計画面の承認ボタンが割れるほど財布の角を叩きつけていく者。自分の勘違いを大声での恫喝によって照れ隠しする者。総じて、コンビニに来るまでにためこんだ自分の不愉快な命運を、初めて入ったコンビニの店員にぶちまける者……。こういうひとたちこそがあの美しく高貴な文をかいてくれているんだな、と実情にきっと反して思い込むようにしている。べつにそれらのひとびとに人間性(「意外な一面」!)や余暇の自由(「ここにいるのは机の前ではない本当の私」!)を回復させてやっている訳ではなく、追い込まれた私の陰湿さはこういうかたちで八つ当たりするというだけだ。だというのに、客として来場しながら、ほんの少しでもくすっと私と共に笑ってくれる者がいる。そうした者がひとりその日いるだけで、私の陰湿な八つ当たりのすべてが不愉快なひとたち同様にしょうもないことに思えてならなくなり、それは事実しょうもないことなのだけれど、とにかく私にそう思わせる者「それは、詩人でも歌人でもツイッタラーでもない。」とかいてしまえばしかし、常識的なモラルを後退的に追認するだけでこの日記もまた終わるだろう。そういう日記のしめくくりかたにはなんとしてもここで抗っておく。