「してきたことの総和」が未来ではなくなるときに

 
(ゔるまちゃんはレース終了後、自分の乗り込んだ「VR-UFO」を声もなくいたわるだろう。*1

 「儚さとは消えやすいもののことだ」という根強い神話にしばらくの間抗ってみよう。ときにはこうした無謀によってかきはじめなくてはいけない。この消えやすさを、インターネットでの動画にかぎらないアーカイブのしばしばの削除される顛末には結ばないように。つまり動画こそ頑固にその場に居残るものであり、そうしたアーカイブに執拗なサーバーへのコナトゥスを嗅ぎとるようにして。その頑固な居残りの層から儚さをもぎとってみよう。
 私はいまだにあっくん大魔王がその初投稿動画*2において、自分のあまりまだ固まっていない来歴を配信を通じて練り上げようとして「魔王になろうと思ったきっかけ」を語りはじめるところがすきだ。そこであっくんは、「魔王に昔からあこがれていたから」という起源措定を始めたくなっている。それはいい。問題は、いざ語りだそうとするときに起こってしまう出来事だ。あっくんはまずは「昔っから、」と話しだすだろう。その当然の起源措定に向かうべき言葉はしかし、風に煽られるようにこう続いてしまうのだった:「いや……昔っからかどうかはちょっとおぼえてないけど」「いつからか、魔王様になりたいなあ、と思ってた時期がちょっとあって……」。
 私はあっくんが、いったいどうやってルーツづくりの罠をこのように回避できたのか知らない。実際、躊躇なく「昔から魔王にはあこがれていた」と言えたらどれほど恰好がつくだろう、と思う。ためらいなく一息で過去と現在の自分を直結させたい、という起源譚の魅力に誰もが抵抗できる訳でもないのに。またそれが必ずしもよくないものではないのに(サーチライトの向こうへ身を投じるしかたはひとつではないのだから)。「おぼえてない」けど「いつからか」という、「そう思ってた時期」が「ちょっとあった」という、微量に微量を重ねたぼかし。この動画はまだ何度も再生することができる。その執拗さに耐えるべく動画は保存されてある。そしてしかし、何度再生してみても私にはこの瞬間のあっくんの口からでていく言葉が儚い、と言ったら。なにも発話者の声の消尽を言っているのではない。それはさらに、私が生配信で聞き取るほかなかった忘れがたい4月のつぶやき:「死んだらひとは変われる? 死ななくてもひとは変われる、だいじょうぶ、だいじょうぶ」(実験動物W01fa「VRぐだぐだ生放送!!」)というアーカイブには残らなかった言葉と引き分けるくらいの、と言ったら。みんなちょっと待って……! かんたんゴンゴンがなにか言いたそうにしてるよ! 金剛いろはではない私のかんたんゴンゴンは「偶然性」の吊られた顔面をゆれている。この子はここで「言おうと思っていたことを、けしてそんな風には言う筈ではなかったのだけど」という困った笑いをたたえているようだ。「たたえている」を「たたえようとしている」で絶えずかきまぜながら。事後性と予感とは正面からは衝突しないだろう。動画の執拗さはそのことに対してなにか弁解をし、なにかを打ち消そうとするだろうか。

 ありがとね、呼んでくれて、ハッピーバースディ・・ちー、大好きよ
(森中花咲、「ちひろのたんじょう日会」*3

 「ゆ」「う」「き」「ち」「ひ」「ロ」のあいうえお作文をエディターにかきうつしながら、ふと心は「ちー、大好きよ」の不意のつむじ風に戻っていく。かつて・この声は・たしかに流れた、と、写真論を録音技術のもとまでリュックサックに詰め運びながら。一回性の側にいる生を望むなら何度でも再生しうることにやはり足をおびえながら。


 キズナアイについて。ある掲示板の住人は「すぐ『詰んだ?』って言うからあの子好きじゃない。」とこぼしていた。バイオハザード7を実況配信していたころの話だったろうか。たしかに、と私も言いかけ、それはそうだったかも、とさらにつなぎかける。「詰んだ?」が「もうやめたい」に聞こえない者は相当鈍感な聴覚の持ち主だろうし、そんな言葉を配信者から聞くのはつらいものだという事実にあえて抗弁はしない。問題は、そう連呼しながらも、あのひとは最後までゲームをプレイしたというもうひとつの単純な事実。要するに「詰んだ?」というキズナアイの訴えのほんとうの意味を私はまだ誰の口からも聞いたためしがない。だからあれほど口にだされた「詰んだ?」を、ああ、アイちゃんまた言ってる、なんてスルーするよりは、掲示板の住人のようにともかくも蒸し返してしまう態度のほうが、宙をさまよう言葉のデブリへ向かうときにはひょっとしたら大事なようにも思えるほどだ。
 「汚ねえ奴らがそろっていて/はじめの言葉を隠蔽する」(吉増剛造「歌」*4)。はじめの言葉とは、単に挨拶や「産声」を意味するのではない。それはあまりに気軽に連呼されすぎてかえってリスナーの意識から取り落されがちな、各人各様の報われない、報いようのない毎日の「詰んだ?」のことだろう。

キズナアイ 今まであまり言わないようにしていたんですけど、バーチャル YouTuber=キズナアイ、という気持ちはいまだにあります。というのも「バーチャル YouTuber」というのは、もともとわたしが活動を始めるにあたって名乗った言葉だったんです。すごく最初期の、まだ自分しかそう名乗っていなかった時期には完全にバーチャル YouTuber=キズナアイでした。シロちゃんは「電脳少女 YouTuber」という言い方をしてましたし、YUAちゃんも「次世代 YouTuber」って名乗っていて。わたしの次に初めてバーチャル YouTuberを名乗ったのは馬さん(編集部注:ばあちゃる)だったのかな。今思えば無言の配慮というか……気を遣っていただいてたのかなって……。(……)
 「バーチャル YouTuberという言葉はわたしのものだったのに!」とか言いたいわけではなくて(笑)。(……)
 ただ、みんなの言っている「VTuver」は自分で名乗らないようにしてて、常に「バーチャル YouTuber」と言ってます。VTuberというのは誰かが作った言葉で、わたしが「バーチャル YouTuber キズナアイです」と言うときの「バーチャル YouTuber」はあくまでもずっと名乗ってきたわたしの二つ名的な感じなんです。わたしは自分のことをずっと YouTuber だと思っていて、だけど人間のみんなとは違うバーチャルな存在だよね、というわりと単純な考えで名乗り始めた言葉ではあるんですけど、この響きを大切に思っています。だから自分自身を表す言葉として「バーチャル YouTuber」を使っています。*5

 このように、「バーチャル YouTuber」と「vtuber」とは同じ気持ちでは使いえない呼び名だ、ということをキズナアイは語ってくれている*6。本人によるこの説明の質は明瞭なものだ。
 もちろん「呼び名」を撤廃することが問題ではない。あるいは「呼び名」を使うたびにその全員に同意の点呼をとることが(今や「Vの者」というバーチャルYouTubervtuberを含めてより広範にバーチャルな活動者たちを指し示そうとする用語もでてきているようだけれど)。とともに、「誰がその呼び名に同意してるかなんて関係ない。嫌がる者がいようとも便利なら使えばいい」と居直ることも問題ではない。私自身、無造作に使いまわしてきたバーチャル YouTuber/vtuberというふたつの言葉の濫用に反省を迫るひとが少なくともひとりいるのであり、そしてまた、それらをしばしば同一視しさえする私のような無頓着な精神から少し離れていられた聡明な心を痛ませるかも知れないおそれを束の間にせよここで拾えなければ、嘘だろう(RACBSKによる「キズナアイ、人格、バーチャルYouTuberについての小論」*7はなによりもキズナアイ自身の自己紹介に注意を促す点で、そうした無頓着さを正しくとがめてくれるものだ)。
 それでいてvtuberという用語の口当たりのよさは、毎日気軽に使うことを誘いかけることもやめない。「バーチャルライバー」伏見ガクが、自身の配信動画タイトルにいつからか積極的にこの語を取り入れるようになったのは最近私の気にしているところだ。実際、最初のひとりにいつでも最大決定権があるとみなす原理主義にも、同意したくない個人にもためらいなくレッテルを覆いかぶせる機能主義にもつくことなく、生まれてしまった「Vの用語たち」とつきあっていくにはどうしたらいいだろう。


 (今用意してあるテキストを投げ捨てて神楽めあを見るべきではないのかとどこかで思う。煽りをけしてスルーできない自分の性格を、言い返せない不条理への悔しさを、あれほど情熱をこめて口にできる者は私の見るところそうはいない。)


 「中の人、という言葉を使うことはできないと感じる」(ないとう)という篤実な意見に私も同意したい。「中の人」と誰かが口にする。そのとたん、ひとというものは死者してしまうからだ。「牛巻が生きてる!高評価!」:牛巻りこの配信中に流れるコメントにはいかなるコノテーションもないことをひとは知っている。とはいえ、配信者自身にはまた違う言い分をする権利があるのではないだろうか。
 シロウケン改め現在ウル=ケン・ノースと名乗っている配信者は、「中の人」という「フィクション」を最も愚直に真に受けてしまったvtuberのひとりではなかっただろうか。アーカイブに残っておらず私自身それを当時見た記憶で言うほかないけれど、ケンは4月29日の「世紀末雑談生配信」において、活動以来保ってきた「キャラクターとしてのシロウケン」と「素の自分」との乖離を突如、打ち明けてしまう。ケンによると、シロウケンというキャラクターは作り上げ、演じられたもので、これ以上みんなに嘘をつくのに耐えられなかったのだという。つまりシロウケンの配信を見ている者のなかには「ケンはこのスタイルのままで日常生活も営んでいるのだ」と信じているひともいるかも知れないのであり、そうした事態を自分のなかで放っておけなくなった……と。おおむねこのような趣旨の話だったと私は記憶している(もちろんここには大きな脱落、省略、記憶違いもあるだろうと思う)。当然にも視聴者はこのような想定に仰天し、「誰もケンが普段からこんな口調で生活していると思ってないよ!」というコメントが集まったのをおぼえている。この話はしかし、ケン本人の思い込みの過剰さを証し立てているだろう。中の人というフィクションをケンは反芻する、それもいわば過剰に反芻したようだ。
 ケンという存在が感動的なのは、この告白を期に「キャラクター」を廃棄して「素顔」で話し始めようというでなく、また反対に「素顔」はこれっきりだと封印して「キャラクター」に徹しようというでもなく、その両者を無意識にも融解させるようにして配信を続けだした、そのありかたにかかっている。私にとってはそうだと思っている。たしかに告白当初は「魂開放(こんかいほう)」という奥義を即興でつくりあげ、「素顔」で話したいときはこの奥義を使う、というルールを取り決めてもいた筈だった。しかし、最近の配信を見るかぎりではすでにそのルールはなしくずしになってもいるようだ。ケンの配信を追うことのむつかしさ、そして私自身の気持ちの都合によってしばしば配信全体から遠くなるなりゆきもあり……だから、配信を通して起こったであろうかなり多くの事情などは判らない以上、断定できることはなにもないと言わなくてはいけない。それでも、話すたびに「ボボボ……」とマイクがうなりを上げ、そうなるべくしてそうなった可笑しな片言隻句を重低音で吹き込んでいたケンと、軽やかさ・明るさといった表現でマークされるであろう流暢なトークを差し出すケンとは、0か1かのオンオフ関係というよりはるかに、ひとつの長いグラデーションを行き来する言葉の動きとして受け取られる。ごく最近の文野環とのコラボ配信*8も、私にはそう聞き届けられたものだ。話題の内容が強くからんでいるだろうにせよ、ほとんど『精神現象学』(G.W.F. ヘーゲル)の域に達しているほどもつれた文法をつなげていくケンの声音、その語り様からは、もはやそれが「魂開放」前か後かを決めることをどこかであきらめたくなるだろう。こうしたとき、「中の人」というしつこいフィクションは、ケンの振る舞いのうちでむしろ問題ごとふしぎに消え去っているように思われる。つねにそうだと言い切ることをやめて、ふとそうではないか、と感じることを自分にゆるすなら。演技と素顔が対立することをやめる一致点、と言ってしまうと言いすぎなのは判っている。ただ、魂/モデル、本人/ガワ、中の人/キャラクター……といった図式を最初から遠ざけることの慎みではなくて、愚直に、いや、過剰に問題を受けとめすぎてしまうことで、かえってそういった分析図式が無効になる道が開けることがあるようだ。その道のもくもくの雲も、まぶしい日差しも、ひとりひとりの配信者自身のものだ。



(あるときは絵は、言葉と待ち合わせすることを拒まない。*9

 さらに「中の人」と同じだけ厄介な「バーチャルYouTubervtuber」という用語そのものに思わぬ足をとられてしまった者がいる。たとえばひとはメエとシカちゃん(「メエの宇宙遭難日記」)の通信記録を通し、その振り払いがたい難点をたしかに知ってきた。自己紹介を兼ねた2018年4月15日の第1回配信*10で、メエはいきなりとも視聴者にこう伝えている、「ちなみに私、バーチャルYouTuberじゃないからね」。言わんとするところは明快だ。メエたちは今現在も、宇宙船「ぽんぴる号」*11に乗ってこの宇宙のどこかを遭難中なのであり、手を休めて視聴者が空を見上げさえすれば、その視線はどこかでメエたちにぶつかることさえ期待されるであろう……。画面に映るメエたちが一般的な2Dのイラストモデルの様子をまとって見えることも「カメラのせい」であって、カメラを修理すれば元通り立体に見えるだろう、ともいう。
 しかし事態は一変する。2018年5月2日の第3回配信*12はタイトル通りのものだ。ここでは冒頭から第1回配信で言われたことの前言撤回が行われる。メエの打ち沈んだ言葉を私も悲しんで拾い上げてこよう。「最初はちょっと奇をてらってたんです」「いまバーチャルユーチューバーのひとたちがすごーく増えているじゃないですか」「だからそこに埋もれないように……」。Vの用語はこれほど当人たちにもプレッシャーをかけてしまうということを遅ればせに、またあらためて突きつけられつつ、ここでしかしなにか視聴者に対して急に宙に浮いてくるように思われるのは、取り戻されたバーチャルYouTuberという名称と当初のメエたちの気持ちの間隙ではなかっただろうか。なるほど、活動を開始するにあたってVの用語で自分たちを規定したくなかった動機については明らかにされるものの、その撤回にあたっては「でもやっぱりバーチャルYouTuberって呼ばれたい」という思いひとつの浮上にかかっているようだ。「空を見上げれば今も宇宙を遭難中の自分たちがいる」というあまり悲壮そうでもなかった視聴者への説得が、「設定」と「撤回」のすきまをまるで無意識の梃子にするようにして、今ここで真に宙に浮きはじめたように思われたのだった。アーカイブを通して視聴したところで整合的な理屈づけは見当たらず、まさにそして、ここからメエたちのもうひとつの豊かな遭難がほんとうにはじまりを告げたようではないか、と。
 「ぽんぴる」というメエの考案はそのための適切な合図であった。ただしその習得の困難さは、最もそばにいる相方のシカちゃんさえ一度は「ぽんぴるマスター」の称号をさずけられながらも、「♪ぽんぴるぽんぴるぷーぺこぽっぽっぴっぱっぷぅー」と調子に乗って唱えたとたんダメだしされてしまうほどのものではある*13。最近では「ぽんちき」なる派生語のような言葉が出現していることも確認でき*14、全貌をつかむことは容易ではないようだ。なお言えば「ぽんぴる」とはけして融通無碍の存在ではない。その合図をとり交わすための場は、どこでも、という訳にはいかないのだった。入社試験の面接ではたちまち使えなくさせられてしまったように*15、ひとが思うよりも「ぽんぴる」は気弱で、儚いつぶやきでもある。それでも一貫して「空を見上げること」への合図はメエたちのぽんぴったぽんぽんぽんぴるのぽんぷーを経て漂うことをやめないだろう。おぼえているだろうか、あの今やメエの代名詞にまでなった「壊れ犬」が大々的に取り上げられた回を*16。そこでメエのものする「壊れ犬」たちの目玉が上ばかり向いていることに対し、シカちゃんは当初ツッコミを入れていたのだけれど、ある瞬間「上を見ろ…上じゃない、下を見ろよ」と言い間違えてしまう。地面のご飯を食べている際にも上を見ることをやめない「壊れ犬」とは誰のことだろうか。そうして、そばで視線の上昇をたしなめる者に対してさえいつか、このように合図が入り込んでしまうのだとすれば、ひとは少なくとも断念とは違うしかたで仰ぎ見るという象徴=現実への「抒情的行動」をそうやすやすとは手放さずにいられる。




(ファンアートを配信画面に貼りつけていくひとがいる……ガラス窓の影。COLOR。ミノムシ。*17

 誰にも答えがたい質問というものがあって、「ティッシュではなんのティッシュがすき?」という問いはなかなかいい線をいっている(風見涼からのこの浮ついた問いに道明寺晴翔は事もなげに「エリエール」と答えてしまうようだけれど*18)。また、「にじさんじ」がアニメ化したらCVは誰がいいか?と甘くもだえてみせたのはある日のモイラ様であった*19。自分のCVのみならず、同期のメンバーのCV妄想に華は咲き、またモイラのファン(=「こいぬたち」)のCVを自分が当てる可能性さえチャット欄からすくいあげてくれる。おそらくそれぞれに困難な質問は解決を要求するだろう。しかしながら、ヤマトイオリのベッドの下から八重沢なとりがいつ脱出できるか、こればかりは誰にも確言できないことだ。


 実際、誰から語りはじめてもよいのだと思う。電脳少女シロやばあちゃるも所属する「.LIVE(ドットライブ)」、そのアイドル部の12人について誰から語りはじめてもきっとよい筈なのに、手は雲雀のように迷う。そこではまだひとりひとりのなにも明らかではない。たとえば、アイドル部の「照れくささ」は今や木曽あずきのものだ。しかしいつから? 花京院ちえりの「お水飲むー」のタイミングは今なお推し量りがたく、カルロ・ピノの口元へ伸びている筈の不可視のワイヤレスマイクのありかを誰か突きとめられただろうか? 八重沢なとりを「お絵かきもトークも達者だけどそつのないひと」とあなどっている者もいずれ彼女の赤魔法に気づくだろう。よなよなのベッドの枕元で写真部がひそかに創設され、そして彼女は最初から全開で駆けつけたかっただけだという事実に気づくだろう。「孤独」とは一味違う契約を交わした長距離ランナーたちをこうしてアイドル部にも見届けられてゆける。だから誰から語りはじめてもよいのだと思う。思わない、手は迷いをとめる。ほんとうは私が誰から語ってみたかったか、知っているだろう。

【一生のお願い】
神頼みの一種。大抵の人は一度は願ったことがあり、一生といいつつ何度もお願いしている。
ヤマトイオリの場合は、小さいころの掃除の時間に机を軽くすることに使ったからもう使えないし、きっとお願いは聞いてくれないらしい。
(「ヤマトイオリ関連用語」*20

 ひとは私がヤマトイオリのことなど忘れたと考えている。お生憎様、自転車に乗る星のことは忘れられないものだ。「こういうお話があったんですけど」というおしゃべりの端緒の誘惑にも、「あれ? おかしい、こんな風に語るつもりなかったんだけど」という予定変更の衝動にも、等しく無防備な、そう、アイドル部中で最も無防備のまま会話に臨むヤマトイオリというひとを、そして:というよりは:自分の意識上の検閲ごとさらしてしまうヤマトイオリというひとを誰が忘れられるだろうか。
 とはいえ、今はまだあふれる気持ちに手が追いついていないのを認めなくてはならない。大きなひとにふれるには乏しい文にもそれなりに準備が要る。「風で葉っぱがイキオイ良く飛んできて顔をかすった時に、切り傷かっこよく出来てないかな!?って気になったけど全然できなかった。。」(https://twitter.com/YamatoIori/status/1030253776869838849)というイオリのツイートを私は出かける際にいっしょに連れていきたい気持ちがこのごろある。まぼろしの刺青。「結局どこみてもふしぎだらけだ、っていうことをなんか思った。」*21。いつかは人並みに私もヤマトイオリについて「お上手!」に語れるようになるだろうか。



(「笑いも忘れ」……歌いおおせなくなった者と、これから引き継ごうとする者との間で、すなわち二重に十全ではなく紙面に印刷された発音指示の手前で、しかしながら「非人称」とは口が裂けても呼ばせないなにものかは、ここにいることが。*22

 それにしても、と言う権利をこの最後で取り戻すことをゆるす。それにしてもいったいどれほど配信者の「音量低い? 大丈夫?」「聞こえる?」「ロボ声になってる!?」という通信確認を聞かせられてきただろう、コミュニケーションの交話的機能(ロマン・ヤコブソン)が絶えず足元を濡らすような時間のなかで。またこれもお決まりのことであるけれど、vtuberの自己紹介動画に続く配信が「これからどんな配信をしていくかみんなと相談する配信」という矛盾撞着のような時間とともにあることも少なくない。攻撃されるのはたやすい──目標がないくせにデビューするなんて愚かだ、自己顕示欲だ、恥を知れ、という具合だ。あえて抗弁するまでもなく、配信者さえ思わず頷いてしまうかも知れない。「話すべきことはなにもない」と。その筈であった。話すに足ると思われるようなことは、なにも。
 にもかかわらず、いつしか「おしゃべり」は始まりだしてしまうのだとすれば、それはひとえに、すでに配信を始めてしまったからだ。なかった筈の話題がなぜか、口をつき、あふれてくる。ある配信者は、配信はみんなのおかげなんだ、自分は「配信ボタン」をただ毎回一度押してるだけなんだ、と言っていた。まったくそうで、しかしながらおしゃべりの可能性はまさにその「一度」に一切の力動を負っている筈だった。緊張は、悪い冷や汗はいつか慣れるものだと誰に言えよう? それでもくぐりぬけて声にだされた「聞こえる?」という通話確認こそ、尽きせぬ話題への類まれな扉なのだと思いなおしてみる。中田健太郎はかつてその卓抜なRPG論「人はときに世界を救う必要がある」で、「おしゃべり(=はなし)」の水平性に「語り」の垂直性を対立させ、前者の頽落を指摘した。けれど、私自身苦しみながら抗弁したい。豊かな、無惨な、不毛な、胸をこがす「おしゃべり」の端緒には、そもそもひとの気持ちの垂直性がすでにして差し挟まれているとは思えないだろうか。
 「私にとって」の「vtuber」とは、なにも技術や革新といった語彙で語られるものではなく、ただ「おしゃべり」を始めることにある日同意することに決めた、「おしゃべり」があるとき急にあんな風に可能になることを無防備にも信じられた、そんなひとたちの様態を指す以外のものではありえない。

*1:未確認チャンネル「チキチキVRC猛レース!ゔるまちゃん視点アーカイブ!」からのスクリーンショットhttps://youtu.be/N0DdMdHsd-U?t=53m41s

*2:あっくん大魔王「あっくん大魔王、バーチャルYoutuberになる」https://youtu.be/5rGn2vSpzJU?t=124

*3:ちひろチャンネル「ちひろのたんじょう日会🎂」https://youtu.be/-qD7KLbuKEQ

*4:『続・吉増剛造詩集』p.22、現代詩文庫、思潮社、1994年

*5:「シンギュラリティと絆と愛──人間とバーチャルYouTuberが出会うとき」(キズナアイへのインタビュー)『ユリイカ』7月号p.29、青土社、2018年。

*6:ORICON NEWSによるインタビュー「バーチャルYouTuberキズナアイ、大躍進を語る『“バーチャル”は不利だけど、武器でもある』」内でも「『バーチャルYouTuber』は自分の存在を説明するために考えた言葉だったんです」と語っている。https://www.oricon.co.jp/special/50778/

*7:http://racbsk.hatenablog.com/entry/2018/10/17/180051

*8:文野環【にじさんじ所属の野良猫】「ものまね界の王子と女王」https://youtu.be/X86liamAl94

*9:メエの宇宙遭難日記「【生放送】酔っ払いのメエが描く絵を当よう!コメントでシカちゃんに協力してね♪」からのスクリーンショットhttps://youtu.be/j3dEA9Eb6j0

*10:同上「【自己紹介】はじめましてメエです!」https://youtu.be/ikE2FQQ2aD8

*11:同上「【イラストに挑戦!】メエの絵心チェック」で宇宙船のこの名称は初めて明かされた。https://youtu.be/XbF2f8-e2wg

*12:同上「【バーチャルユーチューバーと呼ばせてください!】そしてメエ発案の謎の企画」https://youtu.be/VXgQ08lPoHM

*13:同上「第2回【ぽんぴるラジオ】からあげクンの背中に乗って飛ぶ」https://youtu.be/sXRDf_qYWAA

*14:同上「【こわれ犬劇場】ハロウィン!お菓子をもらいに行くよ」https://youtu.be/ufRA-XOp_GQ

*15:同上「【ぽんぴる】流行語を作りたーい!」https://youtu.be/1dKjGC3ZsPU

*16:同上「【爆笑】壊れた犬 大集合!」https://youtu.be/En3zmrNECAU

*17:♥️♠️物述有栖♦️♣️「♡NEW有栖お披露目&冬服お茶会議♡」からのスクリーンショット(2枚)。https://www.youtube.com/watch?v=o2yvETdyyEM

*18:ゲーム部プロジェクト「【マリオカート8DX】目指すは優勝…!キズナアイ杯 道明寺晴翔視点」https://youtu.be/ueRpt2NB2yQ

*19:にじさんじ所属の女神》モイラ「【後編】22というキリ番踏んだこいぬと女神は逃げられない??」https://youtu.be/h64tbvwwGHk

*20:https://seesaawiki.jp/siroyoutuber/d/%A5%E4%A5%DE%A5%C8%A5%A4%A5%AA%A5%EA%B4%D8%CF%A2%CD%D1%B8%EC

*21:ヤマト イオリ「【ハッピー】トリックオアトリート【ハロウィーン】」https://youtu.be/smKXl1ieaEE

*22:三原順「ひとりぽっちの君に~ジェフの日記~」『三原順作品集 LAST PIECE』p.83、白泉社文庫、白泉社、2015年。