車のドアをガコガコいわせながら電話で鍵がどこかにいってしまったらしきことをとても陽気に話してるひとがいて救われました。今ぱっとまとめてしまいましたけど、ほんとうはよく聞こえなかった。「鍵をなくしたことにあまり疲れてないひと」を日々欲していた私が、そうまとめてしまいたいちからに屈したんじゃないかと疑いだすとたぶんあっさりと私は負けます。帰りに同じひとだと信じたいけど、その同じであって欲しいひとは、さっきより落ち着いた感じでさっきより少し住宅街側の柿だったか蜜柑だったかの枝の下のほうで話を続けていました。「明るい。まずそれが気に入らない」(稲川方人)、ひとから言われるとちょっと待ちなよ、と言いたくなる類の断定の言葉があると思う。そこからそのひとがそのようにかきだすほかなかった文の必然性をそっと受け入れることと、ちょっと待ちなよと反発して読みたくなくなることはいっしょに入ってきます。私にとって大事なひとたちの大事な言葉は、おおむね反発を誘うものでもあって、でも「ひとから言われると……」という部分に力点を置きたくなるのもべつにある。「ひとから言われると」急に認めたくなくなるし、「ひとから言われると」もう、がまんならなくなる物言いがあり、そう口にされる前の自分の態度を不問にふしがちに、そしてただもう眼の前に今引かれた境界線の動向をチェックすることに心はかまける。


 古書ソオダ水という古本屋さんがあって、『率』も置いてくれてたりするお店ということだけ知ってたけど、行ったことはないけれど。でもその店主さんが昔私もよくそこから言葉を拾ってた「まんねんしつ」というブログの書き手だったというのを今日ふとしたことで知っていろいろ思った。いつでも引用する用意があるのはとらドラ!に対する感想:「それともあなたはその誠実さと不器用さと鈍感さと優しさといじらしさを持って、なんとかバランスを取ろうと言うのか。涙一つで大きく傾いてしまうこの世界で。恐怖ですくむ体で」。この「まんねんしつ」の言いぶりは、すごく胸をつくもので、だから同じくらい反発心もおぼえる(かつても。今も)。とらドラ!という作品自体への思いがなんだか薄れて、こうした感想への思いの消えにくさがだんだん増していく。