東京の叔母は真っ白なクラシックギターを贈ってくれた(このかきだしになにものも宿るなかれ)。フォークソングがかつてその上に学ばれ、弾かれた。私は主に5・6弦ばかりに入り浸った。さっそくCもBもないダウンチューニングにしたあげく、指でかきなぞってはよりドゥームな低音を、よりドローンな残響音をさがした……。5弦6弦ばかり弾いたので指は煤をぬぐったみたいに黒ずんだ。
 きっとあらためて言うほどのものでもない、いたって基礎的なギターやベースの奏法にハンマリングとプリングがある。どちらもピッキングする側の指は暇にさせたまま片手で音をだすためのものであって、この奏法は互いに独立して成立してもいる。つまりハンマリングを行ったあとプリングもしなくては、ということはまったくない(Black Sabbath"Paranoid"のメインベースリフはハンマリングで上昇する喜びにあふれていた……)。にもかかわらず、ここは「経験」から言わせることにするけれど、指の快楽においてこの両奏法は間違いなく互いに必随的だった。ハンマリングしたあとはプリングしたくなるし、プリングで戻した指はもう一度ハンマリングしたくなる……という意味でこの運指は互いに互いを必要とした。そしてこのまったく自分自身の下手っぴな指の快楽に根差した筈の発見はしかし、どうやら思い返すといろいろなミュージシャンの「好みの」フレージングのはしばしに見つけだすことができた。ハンマリング&プリング、というひとつらなりの運指には、また著名な個別の奏法名もついていると知ったのはあとのことで、とにかくそのときは私もなにか「音楽のひみつ」をひとつ明かされた思いがしたものだった。こう動かすとただ指が気持ちいい、という手癖との共犯関係によって「弾かれたメロディー」が「弾きたいメロディー」だったとポジティブにも追認されうる小さな場所……スコアと即興の間に見え隠れする、その誘いを。