生きている相手に聞かれる可能性が少しでもあるのは、その相手が生きているうちだけ、ということをまだよく呑み込めていないひとたちがいる。その点で、生きてるうちに言ったほうがいい、という我妻俊樹に同意している。くじけかけるように、同意している。拙速になる必要はまったくないけれど、かきに至るまでの時間への信頼の様相もひとによって一様ではないけれど、でも生きているうちに言えよな、ということをまだよく理解しないひとたちがいる。生きているひとについて、生きているうちになにか言うのは、それだけで逃げだしたいほどこわいことだから誰にも強制はできない。私もこわくてしかたない。それに「生者フェチ」になる気もない。人間がすきならこんな場所に私はいない。ただ、死んでから褒められることは、死んでから貶されることとは比較にならないほど悲惨な筈で、それはみんな心の底で思ってる筈だと思う。「おまえも死ぬまでに一度は、おもしろくなってみろよ/それとも、もうすぐ死ぬのか、そしてようやく/『発見』されるのか、家族に、世界に、『みんな』に」(安川奈緒Official clip HQ( Japanese, non music video )」)。没後、私も含め「再発見」するひとたちばかりだから、そしてここで反則的に自分の短歌から引けば〈死んでから推し〉なんてごめんなんだよ、と私はあるひとびとに仮託するように思っている。私もだから、できるだけ多く引き、すきだとかいておきたい。生きているうちに遠くで生きているひとたちに対し、ちからなくなりがちな現在から、失敗するならせめて深く。