努力の方向を


自分が過ったこと なぜあやまったか解せないまでも、ただ明確に過ったということだけは判っていること
自分を訂正したいのも


また会えますね
生きていたら  とか、「っぽく」言うと台無しになっちゃいます それはがまんしよう



「銀砂糖(アラザン)は新しい食材で伝統のある料理書には載ってないけど 込められてる感情は『星くず』でけっこー使えるんだコレが」(おみおみ「モンデ・キント」)
すきな一節・・・この開けた言いぶりに、家のお鍋とか下敷きがそのまま冒険のために拾いあつめるべき道具たちに見えた日がよみがえる


多野本さん(https://twitter.com/tanomoto_i)のフリーゲームのすきでありかた、愛しかたはちょっとうらやましいくらい、去年こういう方を知れてほっとしました正直


「ナントカ三術将」(http://pixelnote255.web.fc2.com/index.html)も多野本さん経由で知って。シリーズものなんですがシリーズものであること、キャラクターが通して顔を見せておはなしが撚られていくって、いい作家がかくとやっぱり、いいんだなあ・・・って思ったよ。シリーズをもつことがキャラクターをつねに救助するとはかぎらないだけに
壮大!とか大河劇!!みたいなモードから避難した場所でだけ成立できるこまごました愛  それでも確実に1作目2作目2.5作目とナンバリングされていくうちに実っていく  とりわけエレメントたち、シリーズを通じてゲームに「根づいていく」ことの良質なてざわり  見慣れた子になっていくことの平然さ、嬉しいことはたぶんあっけないしかたで メアトちゃんのひととのつきあいかたとか・・・ お部屋に誰も容れたくないって孤絶の気持ちが少しでも判るひとなら、他人を救う能力を出し惜しみするなんて・・・とかあの子に軽率に言える訳ないです 今3やってるけど2.5すきですねー いろいろ
クーちゃん愛せます 主従ものってことを考える でもジーンちゃんの記憶にいるクーちゃん、泣いちゃうね ジーンちゃんがつらそうだとこっちも苦しくなる  そしてね 記憶のなかのひと:つまり、人物Aの記憶に人物Xが住んでるときに、そのXをどこまでもAに都合よく染め上げられた虚構のX像とみなす必要はないと  その通りだと思いたいです 自分の記憶にいるXは、自分の記憶を通じて存在する以上どこかしら私自身と同化してる筈だ(実在のXに較べれば存在的に「不純」だ・・・)・・・なんて必ずしも信じなくちゃいけないってことはないね?  と私みたいなのがくだくだしく言いたくなってしまうところを、さらっとえがいてくれる2.5のとあるミニストーリー
Shiftキー押すとジーンの軽い独り言が聞けるのもいいです  キャラクターのちょっとしたおしゃべりがもらえる設計っていつでもいいよね、「雪のガラドリエル」(Space not far)とか。空想地球儀作品とか


山根さんの絵本ですって
yamanecowo.booth.pm



「現代短歌」と言うと「現代詩」の二番煎じか? でも「歌」と言うと「和歌」からの連続性の圧力がかかる・・・短歌というもの。



「私の韻律観」から眼の前の一首がどれだけ乖離/不整合/逸脱・・・しているか測ってみせることとはどうしたって手が切れない「韻律がいい/よくない」言説、というでもなく、端的に「他人の韻律」、「韻律が他人」であることを飲みこむ経験   自分には頷けないけれどこの韻律をこの歌人は採ったんだということの前で  自分にはこの韻律は頷けなくてもこの歌人はこの韻律を余儀なく生きた、というしかたで受けとめざるをえない経験があるので、『カミーユ』(大森静佳)は私におもにそういうしかたで読まれていきました 下句の韻律につまづいたのは一首二首の話ではなく、でもこれがこの歌人の韻律、容易に飲みこみがたい「他人の韻律」なんだ、と同時に理解できる リズム  なにも過剰な音余りや表記のtrickに依ることなしに、それもパターンになっていくときっとつらいと思うけれど  同化不可能な他人の韻律がこんな風に強いしかたで差しだされてある歌集に対しては、少なくとも「韻律がいい/よくない」で済ませてはいられない  手元に本がなくて乱暴な物言いになってしまうけれど。




『きょりかん』(海老名絢)

 「コツコツと音を立てるパンプスを履き、頭に響く路面。」(「ボトルの底」)
 「昼夜を問わない信号機」(「ひとみをうるおす」)
 「抹茶ソフトクリームは至るところにある。」(「距離感と居所」)
 「さあああ、音楽が止まったウォークマンから鳴る音をかき消すためにまたわたしは音楽を鳴らす、」(「星をつなげば」)

こうした、いわゆる正確な詩行と私は思うけど、あと「正確」であることがなぜいいのかあるいは、案外どうということもないのか、を言おうとするとそれなりに長い説明がいくつも要る筈でもあるけれど、ともかくこう引きだしてしまうと詩のなかでの軽い凹凸・段差に対してこうした行の占める位置とか、書き手の視線によっておそらく事前に均された質感なんかよく伝わらないんだろうとも思う。当たり前ですけど。この詩集のあとの第二詩集を読んでみたいなと思いました・・・もうでてる(『ひかりがやわい』)。


あと、ハンスが標準語を「冷たい」とかふざけたことを言っていたので最悪だと思いました。
私は標準語が好きだし、綺麗な言葉だと思います。
「方言」が温かい言葉で、各地域に住む方にとって大切な言葉だということはわかっています。
でも、私の大事な標準語を貶めていいことにはならないからね。
私はハンスのそういう無神経なところが大嫌いー!!



・レナ(一軍。大好き!!)


最悪にポンコツなハンスを「妹だから」という理由だけで「助けさせられてきた」可哀想な女の子。
強くて優しくて、気配りができて大好き!!
ハンスに対するレナの突っ込みにはいちいち肯いていました。


なぜかハンスを強くひいきする師匠に「傷ついた兄に寄り添え」と強要された時「じゃあ、傷ついた兄に寄り添う私には誰が寄り添ってくれるの?」と返した時には「よく言った!!レナが正しい!!」と思いました。
http://mayukoshono.blog.shinobi.jp/Date/20190217/

いいこと言うなあと思ったもの。前もかいたんですが真由子さん、いつも偽りない情熱で感想かかれてると感じられるし、だから、たとえ個々の言葉が私には同意できないことでもそれがどうしたの!というか、ちっとも気にならないで頷いて読めます。自分とはぜんぜん違うもののとらえかたしててもそれがどうしたの!、っていう 信頼ってそういうものだよね  同意できないことを後ろめたく思うことなく読んでゆけるひとたち