嫌いたいんじゃないけど欅坂46の歌の作詞にはうーんうーーーーん・・・・といつも賛成できなくなります。有線で流れてくる黒い羊であれガラスを割れ!であれ。おそらく「動物」の取り扱い方が不愉快です、私には。犬や羊を人間化して傷つけるくせに、それでつけられた傷自体は人間じゃなくあくまで犬や羊の側に返っていく感じがね・・・。まあ不当な物言いですけど。それはそれとして、動物だろうとなんだろうと使えるものは使ってこの情念をとにかく手渡すんだ、という思いが多くの子を励ましてることをせめて判りたいとは思う。「カプ厨なら誰もが一度は秋元康の前に膝を屈したことがあるはず」という省子さんのいつかの言葉、秋元ファンでも欅坂ファンでもまったくない私のいまだに気に入ってる言葉です。
そういえば『ドゥルーズと狂気』には「馬鹿という言葉はなによりも馬と鹿に対して失礼です」という一節がたしかあったよね。こういう文をかく書き手の前ではちょっと態度を決しかねると思うんですよ。でもああこれはごく真剣に言ってるんだなという理解もあれば、やっぱりそう切りだされるとくすっと笑えもする。そういうかきかたもある。



『あたかも壊れた世界』がいまいち面白くないというのは判ります。雑誌で読んだときはそう思わなかったけれど、こうして一冊にまとめられてみると、個別の作品鑑賞という場では実は小泉義之は弱みがでてくるのではと思わせられた。そりゃ「大事なこと」の五つや六つやはかいてるけどさ。この著者に求められる水準を考慮すると・・・もっと作品に対して「くじける」読み手の痕跡を露わに見せてほしかった気がする、わがままな要求としては。
あと私からすると根本的に小泉義之はほんとうにはどういう作品が具体的にすきなのか愛してるのかってことを文章上では極度に禁欲することで情熱に違う水路を導いていくひとだと思ってるので、感動するんだけど同時にそこで個人的にもやもやする。もちろん「好き嫌いではやれない仕事の高み」という点ではいつもすごいものがあるけれど。でもなににほんとうはときめくのか聞かせてほしくなっちゃうかも。それに「批評とは対象への愛を殺すことで発言の許可を得るディスクールのことだ」的な常識が正しいとは、少なくともどんな書き手にとっても正しいものだとは、私は思わないです。ともかく、愛を告げてるのに私に聞こえないだけだったらいいんですけど、いや、そもそも告げなくてもいいんですけど、私は率直に自分がときめいたりすきで愛してるものを語ろうと努力する「ファンの言語」がすきだからさ、自分ではできないけど、だからそこらへんのあれこれもあります。