マスコットは生成される

 金剛いろははつい最近、適切にも「シロ語」への思いを述べてくれていた。

 おほほい!っていう言葉は・・自分を奮い立たせる魔法の言葉なんで・・
 使っていきますよ積極的に
 (金剛いろは「【麻雀】1位になりたいのーーーーー!!!!!!」、2019年。https://youtu.be/k9W1wCTGLkE

 2018年の初め、月ノ美兎や静凛といった「にじさんじ」のメンバーが現れたとき、「行くぜ行くぜ行くぜーぃ」「おほほいおほほい!」と電脳少女シロの物真似を気軽に口ずさんでみせたことに新鮮な喜びをおぼえたものだ。ほかの配信者によってシロの言動が物真似される、ということがその当時はもう少しだけ稀な行為だった筈だから。
 この一年の間に起こったことを思うと気が遠くなるようだけれど、現在「どっとライブ」所属のアイドル部として活動している配信メンバーは、もともと「少女兵器対戦」のキャラクターのなかから投票によって選ばれたモデルを発祥としている。

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 私自身投票に参加した筈だけれど、率直に言って誰に投票したかおぼえてはいない。それまでまったく面識のなかったキャラクターを180名も披露され、挙句そこからvtuberとしてデビューしてほしいモデルを10人選べ、といきなり言われても……という気分であったのは否めない。おそらく大して悩むことなく乱雑に選んだ筈だ。ただ、それは大きな問題ではなかった。問題は、当時の私にとっては「シロを慕って入ってくる子がこれから10人もでてくる」ということの途方もなさだった*1。急いでつけくわえておけば、この私の思いなしは勝手なものだったろう。同じどっとライブ所属だからといって、べつにシロを慕っていなくてはならないとか、シロ組でなくてはならない、ということはない……。しかしそう物わかりのいい顔で説いてしまえば自分の心を誤魔化すことになるのに違いない。
 結局、アイドル部に対する私の当初の「そわそわ」というのは身勝手ながらこうしたものだ。これからデビューする子はみなシロというひとに惹かれてオーディションに参加しにくる子たちなのだ、と……。ほどなくこうした身勝手な期待はこころよく躱されていくことになる。

後藤浩子『〈フェミニン〉の哲学』p.253、青土社、2006年

 絵が描けることを特別視してはならない、絵心のない「一般人」とはかけ離れた天与の特性のようなものとして見てはならない、という対人関係上のモラルは正しいとひとまず肯定しておこう。けれども、個々の描き手に驚き、その絵の質感に胸打たれ、笑い、焦り、どうしてこんな絵がかけるの!と心につぶやいてしまう経験群を無視しては、それも嘘だろう。アイドル部はその意味で私にとって、驚異的な描き手を輩出してきたグループでもある。

神楽すず「【ETS2】無免許だけど令和までに無事故で荷物を届ける」、2019年。https://youtu.be/cazST-XDPrM

神楽すず、同上

 八重沢なとり、夜桜たま、もこ田めめめといったひとたちは当初からその流麗な筆を存分に披露してきたし、木曽あずきはそのいささか構築過剰気味な動画のうちに照れくさくも自分の絵柄を愛しく封じてくれてきた。神楽すずが今日もまた国境を越えんがためのトラックに同伴させるべく、アイドル部全員の似顔絵に挑戦してくれたことさえ心強く思いだせるだろう。さらには、「破壊的な」その美術センスをとりざたされていたカルロ・ピノが、どんなにか線と色彩の急所をしっかりとつかんでいる描き手であるかは、先ごろ出版された『ぴのらぼ おいしい虫さんたち』(株式会社KADOKAWA、2019年)においてもすでに明らかだ。
 そうしたなか、私がおびやかされる思いで見つめていたのは、実は花京院ちえりの描くイラストではあった。いつだったかの振り返り配信でちえりは、初配信時にサムネイル画像として用意したイラストについてこんな風に述べていたと思う。「同期の子たちが初配信と同時にイラストを発表してき」たので、「自分も焦ってなんか描かなきゃ!と思ってあわてて発表した」のだと。あとからこう言われてみれば、いかにも突発的に用意されたものという印象を与える。しかし当時私はこんなポップセンスを差しだされてはかなわない、と冷や汗をかいていたものだ。実際、ちえりはその後、日々のツイートにあわせて、また配信とともに、思わずくすっとしてしまうたのしいちぇり絵を惜しみなく連投していくことになる。

花京院ちえり「【雑談】カルタまとめちぇりとーく!【アイドル部/花京院ちえり】」、2019年。https://youtu.be/jZZwC3wzzyM

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花京院ちえり「【どっとライブ】【アイドル部】花京院ちえり【はじめての生放送】」、サムネイル画像、2018年。https://youtu.be/yrWWLvPcPLQ

花京院ちえり「【Nevermind】ちえりが精神科医になる。・ч・。#1【アイドル部】」、2018年。ミニちえりはめめめ作、その右上にいる白い線の幽霊のようなマスコットがちえり作のもの。https://youtu.be/wnq7n2hXwDE

 さて。今ふと思う。たとえばここのすぐ上に引用している画像……まるで幽霊のような浮遊性を帯びたキャラクターがいる。この子がいつデビューしたのだったか、もう私には思いだせない。今やファンアートにおいてさえ立派に場を占めてみせているこの子は、いつ、ちえりの生のうちに紛れこんできたものだったろう。

 こうしたキャラクターを、たしかに一口に「マスコット」と呼んでみたい気に駆られる。そしてちえりと同じように、ほかのアイドル部メンバーにもマスコットと呼べそうな子たちがいる。かんたんごんごんにx1.3ちゃん、ちびたまちゃん。ミニめめめ。からじゃがさん、あいきゃんふらい、きつねうさぎさんに動画編集神。その初出や定着していった経緯がこちらの脳裏にはっきり刻まれている子もあれば、ちえりの例のように必ずしもうまく思いだせない子もいる。それはもちろん、私の物覚えの悪さにかかっていることだけれども。
 それに、配信中よく登場するからといってマスコットとは呼びがたい子も多い。ちえりにとってのシナモンたちや従業員たちのイラストが、かんたんごんごんと同じステイタスを持つマスコットだとはやはり思いにくいところがあるし、かぎりなくキャラクターに近いニュアンスを帯びながらそもそも「顔」をもたない存在もいる(牛巻システムを「顔をもたないマスコット」だとどこまで思えるだろうか)。また、マスコットとしての生成に際してはその歴史性も一様ではない。あいきゃんふらいのように小学生からのつきあいを持つ子もいれば*2、配信活動を通しながら発見されていった子や、かんたんごんごんのように仲間からプレゼントされた子もいる。
 以上のようにどこまでも曖昧な存在なのはたしかであるけれども、私としては結局どの子のこともマスコットと呼んでみたくなる。軽はずみに。考えなしに。


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中井英夫「続・黒鳥館戦後日記」p.738、『中井英夫全集8 彼方より』、創元ライブラリ、(株)東京創元社、1998年


 マスコットは生成される──しかしいつから? これに答えるのは容易でない。「その画像の初出はいつか?」ということならば調べればいずれ判ることではあるだろう。だけれども、絵として出現した日時と、マスコットとしてひとびとの間で機能しはじめた日付、これはどうしたって一致しえないものだ。たしかに描かれた瞬間からマスコットとして生きだしてしまえる子もいると思われる(「みんな、今からマスコット決めるよー」というような言語的な約定も手伝って?)。しかしマスコットとはなにより再会の期待に応える時間的な生き物なのではないだろうか。こう言ってしまうとまた微妙な問題を連れこんできてしまうかも知れないにせよ。
 「画像的キャラクターの新たな謎」*3においてAiziloは「固有名をもたず、同一性ももたない」キャラクターというものについてふれている。インターネット上での「お絵かき文化」「落書き文化」がここでは想定されているだろう。「多くの絵師は息抜きに不特定のキャラクターの素描を作成しては、SNSに投稿している」。名を持たず、特定の物語的背景を持たず、その場の気分でかき流される子たち。肯定的な意味で「手癖そのもの」であるようなキャラクターの単発的なイラストは、たしかに日々流通しているようだ。ともあれ、アイドル部のマスコットたちだってもしかしたらただの一度きり、舞台に登壇して去っていく気楽な存在になっていたかも知れない。かんたんごんごんやからじゃがさんさえ、原理的には、そのように考えてしまうこともできるのだろう。けれど、すでにマスコットと不可避にも会ってしまったファンにとって、そういった反実仮想はどこまで真剣に受け入れることができるだろうか?
 「キャラクター」という概念にここで深入りすることは避けるけれども、私にとって今なお即答できないところ、つまり個人的にこれからも争点となるだろうポイントは同一性をめぐっている。「この子はあの子だ」と絵を通じて判ってしまう出来事の一切をめぐる。手癖そのもので一枚かぎりの絵で描き流されたキャラクターが、「固有名をもた」ないという上の記事には同意できるとしても、「同一性ももたない」かどうかは相変わらず考える余地があるということ……。同一性をいったいどのような水準で考えているかが問題でもあるにしても、だ。(ほかのよく似たキャラクターとの見分けがつかない、というような意味での)「他者との識別不可能性」と、(あくまで対象キャラクターとの間での強い有縁性のみが認められればほかは問題ではないという意味での)「同一性」とを一応分けてみるなら、そのとき同一性は、思ったより多くのケースをカバーするのではないだろうか。私が気楽に考えてしまいがちなだけだろうか。
 実際、Aiziloも上記のエントリーの注において「お気に入りの素描に描かれた不特定のキャラクターに同一性を与えることで、特定のキャラクターにすることもあるだろう」と断っている。この、同一性を「与える」という述語の内奥に、「見いだす」「気づく」といった層をも私は含ませてみたい。描き手のポカ、鑑賞者のポカ、総じて一人称のポカはつねに起こりえることだ。新たに描き起こされるたびに再会できるその子の「何度でも」の再現可能性、そしてその都度あっ!これはあの子だねと判る「何度でも」の同定可能性は初めからその子に備わっていて、こちらがそれに無下に気づかないふりをしていただけ。そんなこともまた、つねに起こりうるのではないだろうか。


 ときには一個の文字さえマスコットになりうる。めめめの新年初配信*4で唐突に公開された、イオリンのLINE画像は文句なしにそのことを証拠立てている筈だ。とはいえ、マスコットにしてはこれは、なんとも過剰な存在かも知れない。迫力の源泉はやはりイオリン自身の「自分への納得いかなさ」が字の痕跡を通じて露わに届くからではある。このようにちから尽きるまで一個の形象を大きく連呼されると、端的に、同一性というものがよく判らなくなってくるものだ。
 私はここでなにを考えていたのか忘れる──パン屑みたいに忘れる、たしかにたしかにみたいに忘れる、いじけ虫ピー太郎みたいに忘れる……いや、待て、勢いが余りすぎた「め」の字をハンドルのように握ってバックミラーを笑顔で確認しながら飛びだしてみせるひとがいる!

 黄昏の在り処は知らない。まして国なんて。もちにゃんと風紀のひとがもみくちゃになって坂を転がり登っていく(それは「黄昏の国」の一風景ではけしてない)。怒涛に剥がされた土の裏に、私の気に入っているシーンがひとつ埋まっている。それは、ピノちゃんがからじゃがさんを愛しむように話しかける「ポケモンスナップ」配信回の冒頭だ*5。「ね、からじゃがさん、今日一緒にオセロしましたね? 聞いてますか、ちょっと? ケーキおいしいですか・・? よかったですね・・うん」。かたわらのマスコットにこのようになんの気なしに話しかける日がピノというひとに来るなどとは、私も誰も思っていなかったに違いない。マスコットはこうして配信者自身の通時的な生の変わりをも暗に拾い上げていくようだ。

 2018年、・・ありがとう
 わたしたぶん今年は、いつになっても思い出すかもしれない・・に、あ、やばい、終わり終わり!終わり!
 (神楽すず「【今年最後の配信!】今年はありがとうございました!【アイドル部】」、2018年。https://youtu.be/jfK-b5I6YfE

 アイドル部のメンバーが連れてきてくれたマスコットたちとにらめっこを続ける。ファンアートのうちに、3Dモデルのうちに、マスコットたちは誰にせがむでもなく不敵にも居場所をつくりはじめていた。見ればあなたがどの子か判るということ。何度も出現し(2019?)、何度でも再会し(2018?)、もはや最初どのような思いで見ていたのだったか、記憶が困るくらい。
 最初からこう見えていた筈はないのだけど──でも、どうしても今はこう見えてしまっているけれど。

*1:花京院ちえり・もこ田めめめの(再)デビューが追加で決まり、結果的に12名という大所帯でアイドル部が発足を迎えたことは今や知られている通り。

*2:snow「北上双葉とあいきゃんふらい」、2019年。https://www.nicovideo.jp/watch/sm35067602

*3:「#EBF6F7」、2019年。https://aizilo.hatenablog.com/entry/2019/02/22/215630

*4:もこめめ*channel「【雑談de配信初め】いのしし年だオラァ~ッ!」、2019年。https://youtu.be/Lp1yU-Xre1w?t=2991

*5:カルロ・ピノ「【ポケモンスナップ】Let's Go! ピノ#6【完結】」、2019年。https://www.youtube.com/watch?v=_ZJrGnO2wh4&feature=youtu.be&t=233