言い訳要らずの反故──前川佐美雄『大和』

ナガノはちょっと歌ってはやめ、またこわごわ歌い直すことをくりかえす。ひとつの曲をさいごまで歌いおおせることができない。
「歌えるようになるといいね」
「うん」
雪舟えま「とても寒い星で」、『凍土二人行黒スープ付き』


 「着いたあとでそこが目的地だったと初めて判る」という「抒情詩」をいつもつかみそこねます。私はまだよく判らないです、そういうのの機微が。感受性なんてある程度までは学習の賜物、という考え方は正しい&とっても優しいと私も思うから、じゃあそうした方向の感受性をあんまり勉強しなかった、したくなかった、だけかも知れない。言い方のせいかも知れない、ほんとうは底のほうで判ってることかも知れない。でもやっぱり自分の身についてるとはどうしたって言えない。


 絶対の一首が成立するまでの惜しいバリアントとして受け取られる歌たち、というのがあって、それは振り返ってみれば、という再発見の照射を余儀なく浴びている。とくに歌集にまとめられてしまえば、「絶対の一首と、そこへ至るための何首もの習作」という風に目的論化されて読まれることは避けにくい。その絶対の一首が実際にかかれなければ、互いに関係づけられたり、ひとつの遠い目的地のために倒れた系譜だと思われることもなかっただろう、という気にさせられる。でもどこまではっきりそうしたことを主張できるだろう。

春霞いや濃くなりて何も見えねばここに家畜をあがめむとする/前川佐美雄「春」、昭和12年


真昼間の霞いよいよ濃くなりてむせぶがごとく独なりけり ※独(ひとり)


逝く春の霞ぞふかき真昼間は屋根にのぼれども眼の見えはせぬ/「晩春小居」、昭和12年 ※眼(め)


昼過ぎの霞いや濃くへだてられおもかげも見えぬいらだたしさを


祖先らを遠くしぬぶは四方山もかすみて見えぬ大和と思ひ/「霞」、昭和14年 ※祖先(みおや)、四方山(よもやま)


春霞いやふかき昼をこもらへば土間のあたりにうづくまれこそ

 前川佐美雄の『大和』(『現代短歌全集 第八巻』、筑摩書房、1980年)から。気だるい幸福感にも、鬱陶しい嫌悪にも、どちらにもふれうる「霞」の濫費。似たような歌いだし、同じような発想、というよりはるかに、字面や語句選びの水準で「キャラ」が被りすぎていることをまったく意に介していない。そうでなかったら歌集にこんな風に入れられない。
 穂村弘による『植物祭』評を想起しながら言えば、これらの歌たちだって「ホームランを狙う大きな空振り」なのかも知れない。とくにこれらの歌のまるで延長線上に成立したような絶対の一首……この文の段落の直後に引くことになるあの一首……が『大和』に輝いてあることを知っている者にはなおさらそうだろう。けれど、私はもっと端的な野蛮さを感じる。狙うならばホームランをという『植物祭』での種々さまざまな「ファールチップ」とは違う、そうした気負いのゆえではないどこか空ろに繰り返された「空振り」だから、というせいもある。そしてそれ以上に、単に空振りのしかたが野蛮なのではなく、空振りした歌を歌集からは落とすという配慮なんて最初からなさそうな作者の手つきによってこれらの歌は真に野蛮なのだと思う。歌人の多くが「こんな推敲は家で済ませておくべき」と思うだろうことを、紙面の上で繰り返し念じることを悪びれないような。読み手に愛想を尽かされることをまったく恐れないということをエネルギーに歌を繰りだすにしても、今の歌人だったらこういうしかたでは歌集をまとめないと思ってしまう。歌を並べること、歌をそのまま入れることに対する暴力性のそもそもの質の違いを感じる。この点で前川佐美雄の暴力性は、「たまゆらもその眼とづるな爛爛とかがやくその眼とはにとづるな」「こなごなに砕けはてしがひとしきりあやに光れば手もつけられぬ」というような歌の内実の激しさに依る以上に、歌をかき、並べ、発表してみせるというそもそもの行動の域において私をびっくりさせる。


春がすみいよよ濃くなる真昼間のなにも見えねば大和と思へ/前川佐美雄「大和」、昭和14年


 先に引いた6首をどう組み合わせてもけしてこうはなりえない、というまったく新しい限界としてこの歌は突然ある。そしてこの歌の登場によって、先に引いた空ろな6首がプロトタイプかなにかのように統べられた地点に私もいてしまう。あの6首とこの歌は断じて無関係だと言うことも、ひそかな交流があると言うことも、同じだけ意味を戦わせられる地点に。制作年月日の問題も複雑だ。というのは、歌集の後書きを信じるなら、この絶対の一首を連作「大和」において成立させたあとで、なおも昭和14年の「霞」(先に引いた6首中、最後の2首)を前川佐美雄はつくっているからだ。容易にほどきえない恐怖の瘤そのものとしてある「なにも見えねば」が繋ぐ結句の「大和と思へ」というほとんど言語道断の命法に立ち会った者が、あろうことか、早々と次の連作において「大和と思ひ」という結句をゆるしてしまう。それを単に歌人の無造作さに解消していいのか、どうか……。


 塚本邦雄の「馬を洗はば」という絶対の一首についてなにか語ろうとするひとが、その一首へ至るための苦心を残す習作、バリアントとしてかかれた3首──それは「沈鬱皇帝」という連作に収録され、今も『歌人』で読めるけれど──にふれることはほぼない。前川佐美雄の「なにも見えねば」もそうだと思う。そうだと思うけれど、そうならざるをえないのはどうしてだろう。どうしてもなにも、しょせん習作は習作です、質の違いは歴然と判ります、なにもかも別物です、だろうか。どうしても、その一首・あの一首と、「その化・あの化」された遠い一首への無言の喝采なしにはすでに立ちいかれない短歌の感性史のあとに、自分が立たされているのを感じる。
 作者がこれは習作ですと言えば納得できるだろうか。だってこれがずばぬけてますもの、とどこまで自分がこれまで不可避にこうむってきた鑑賞史、無意識に内面化してきたときめき学を参照せずに言えるだろうか。私も、「馬を洗はば」や「なにも見えねば」の前では、ほかの倒れていった類似の歌たちがすべて予行練習でしかなく見える。決定的な例の一首のありかたを最初から目指して、それらの歌たちがかかれたように思えてしまう(言葉という主体の側に徹底的に立って思考する者にはここでべつの言い分があるだろう)。それは認めた上で……。「名歌であること」と「名歌にすること」との気が遠くなるほどの長い緊張関係、いわば歌における本質主義構築主義の共同制作下で、あの一首・その一首という絶対の基準なしに、そういった倒れた歌たちをそれ単体で感じたりさわったりしにいくのがどんどんむつかしくなる。


同じような句をつくって何がいけないのか。もっといえば、まったく同じ句を何度もつくることの何がいけないのか/外山一機「忘却についての私的ノート」


 それはまた読者を作品につきあわせる権利の話になるのかも知れない。ひとつの歌をいつもさいごまで歌いおおせられずにいる悩みと、ひとつの歌をさいごまで歌いおおせてしまったあと、ほんとうに始まる悩みについて。