アパートが解体されるので年内には新しいすみかを見つけないといけない筈なんだけどなにもちからがでなくて引き延ばしている。
このすみかが終わるというときにようやく道端で親しみを抱えておずおずと話し合う、このアパートの住人たち。私もでも、いつもそんな風かも知れない。大崎清夏の、いい詩集・・『新しい住みか』にこういうときまぶたを閉めたくはある。

あなたがノートの見開きに書きとめることばと
わたしが本で読んで泣いたことばは ちがう
あなたはおかしいと思うかもしれないけど
わたしはそのことが 嬉しすぎて笑えた
(「炊飯器」)


スマブラ攻略サイトをだらだら眺めていたりする。私が小さく胸打たれたのはリトル・マックというキャラクターの紹介文だ。彼の空中戦の不得意さをライターはかきこんだあと、それでも地上戦で有利に立ち回ればいいんだ、と、「それができるキャラである。」と結んでいる。ここでの「である。」はキャラクター自身をまず元気づけ、次いでそのキャラクターを使ってこれからプレイしようというひとの肩も同時にぽんと軽く叩くような励ましの語り口だと思う。匿名の、攻略情報ライターの文体特有の励まし方というのが確実にある。これはそういう部類のものだと私は思う。
https://smashwiki.info/リトル・マック_(3DS/Wii_U)
リトル・マックの空中攻撃のワザ名を見ると「苦手ジャブ」「苦手アッパーカット」という風に、すべてに「苦手」というハンディキャップが言葉として背負わされている。こんなに屈辱的なことはない。自ら苦手と告白しなくてはいけないのはファイターにとってどんなに悲しいだろう。「それができるキャラである。」というなんということもないのかも知れないコメントをこうしたときに励ましとして聴きとるのでなければ、もうどんな大袈裟な応援演説さえ私には聞こえやしないだろう。


歩くことでからだの問題が薄らいでいくかのように。
ここ数日ずっとこの街はお祭り。その風景のいくつかを「写実」したい気分が死なない、これはいけないことなのだろうか(胸の火は消えず)。歩いていると夕方に向けて準備しているひとたちばかり。警備係の詰め所の白いテントでご飯を食べているひとたち。寄付金が板書された大きな板が小さな神社の前にある・・そう、お祭りの日には寄付金が板書されるもの。アスファルトむきだしの交差点で信号待ちしてると後ろで子供の持っていた風船のうちのひとつが割れて、母親らしいひとが、こんなに暑いから風船割れちゃうんだね・・・とつぶやいていて、風船が割れるにはなにが必要かを思いつくかぎり私は考えたくなる。金とこげ茶のおみこしがガレージに待機していて法被を着た町内会のひとたちに見守られている。何人かがおみこしの上に上がってブルーシートで今ゆっくり覆っていく、のか、シートを外そうとしているのか、少し見ただけでは判らないまま。
道すがら、駅に出店してるアコメヤというところに入ってみる。お米です!お米のお店!キャンディーボックスみたいな小さな包みにいろんな銘柄のお米がかわいく入って売られてる。炊飯器が使えたらな、とか思う。ご飯の上に乗せる瓶のフレークとかオリジナルカレーとか。ごぼうの皮が底に沈んだごぼうドレッシング。お米専門ということでおせんべも多いし、箸置きとかお皿も置いてて、カルディとはまた違う雑貨テイストあふれる。


帰ってきてざくアクを進めて、無理して買ってきた本はやっぱり嬉しいままにベッドの上に投げだしてあって、新しい短歌個人誌をまた少し編集した、こんな日記のつけ方ではそう長くやっていけないって頭では思いながら。